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登山は趣味として素晴らしいですが、のめり込みすぎると色々な弊害があります。筆者の経験を元に、のめりこんではいけない理由をご紹介していきたいと思います。



理由①:交遊関係が希薄になる

山にしか行かない生活を続けていると、山以外の交遊関係・人間関係が希薄になります。

毎週末山に行きはじめると、友人や会社の同僚からの飲みや遊びを断るようになります。
そのうち「あいつはどうせ山だろ」と思われるようになり、週末の遊びには誘われなくなります…。

僕は比較的周りの友人に山を登る人間が多かったのですが、それでもスケジュールの関係や、地理的な問題で一人で山に入ることも増えていきました。

もうそうなると山仲間からさえも「山バカ」認定を受けて孤立感は深まります…。



理由②:彼氏・彼女が出来ない

交遊関係が希薄になるのだから当然異性との出会いはありませんよね。

「山で出会いがあるのでは?」と思うかもしれませんがはっきり言ってそんなものはありません。

山コンとかいう山登りとは言えない街コンの延長線上のイベントに参加すればまだ何かしらの出会いはあるかもしれませんが、ウィークエンドにギリッギリのスケジュールの中、テント泊山行を好む者にとっては山コンなど無縁です。

そもそもガチ登山をしていると、週末と言えど山ではほとんど人に会わなかったりします。ましてや自分と同い年くらいの異性などいるわけがありません。もしいたらお化けです。

仮に異性と話をする機会があったとして、お互い全然別の土地から来てますし、そこから何か恋愛関係に発展することは全く現実的とは言えません。

ちなみに僕は山で見知らぬ異性と話した経験すらありません…。




理由③:彼氏・彼女が出来たとしても別れるリスク大

仮に何らかのご縁でお付き合い出来たとしましょう。

しかし山にハマっている人間の思考では常に山と彼氏・彼女を天秤にかけがちです。それではせっかく付き合えても異性に呆れられてしまうでしょう。

まあ、相手が自分と同じくらい山好きなら良いかもしれません。でもそうではなかったら…かなり難しいですよ。

え?付き合う前に「へ~山登るんですか~私行ったことないけど今度連れてって欲しい~」って言われたから理解があるし一緒に登れるって??はい、それは幻想です。

それ社交辞令と言います。あなたがその気になってグイグイアホな山屋のペースで山デートに誘うとお相手の本音が出てくるでしょう。「あんた山と私どっちが大事なの?」と…。

たとえ相手がある程度山好きでも、好きの度合いには差があるはずですから、かならずそこから軋轢が生まれます。あなたが男性ならなおさら…。

本気で異性とお付き合いして結婚したいのであれば、自分の性癖(山好き)は相手に決して押し付けないことです。それが大人です。



理由④:貯金できない

僕は独身時代、一応貯金をしているつもりでしたが、なかなか貯まりませんでした。というのも、交通費と山道具にかなり投資してしまっていたからです。

給料は少なかったのですが、日常の食費や無駄な交際費、その他人間活動に必要な経費を削って山に投資していたように思います。

そしてなにより、女の子に投資を全くしていなかったので、その分山の費用を賄えてたんだなあと感じています。山は恋人とはよく言ったもんです。

今になって思い返してみると、よくそんなに山で使っていたなと…。もうちょい貯めておけよあの頃の俺…。



理由⑤:家族から呆れられる

交遊関係も希薄になり、結婚しそうな気配も無く、貯金もろくにしていない…。そんな状況だと家族にすら呆れられます。

まず社会人なら盆暮れなどの長期休暇は山に行くようになり実家には帰りません。学生も長期休暇は山にずっと入っており、夏休みなんて数日しか家に居ないこともあります(僕がそうでした)。そうなると家族からはもはや「いない人」認定されてしまいます…。

たまに実家に帰りたいと思ったりしても、親戚の集まりにすら呼ばれなくなったりします。

そう、両親との関係ですら希薄になってきます。これは良くないですよ。親は大切にしないと…。

と思いつつも山に行くことを止められない…。もしあなたが年頃の年齢でも両親は孫を諦めはじめます。なんと悲しい話でしょう。

それでも登山届の緊急連絡先には親の名前と連絡先を書くなんてなんて親不孝な子供でしょうか…。



理由⑥:登攀欲求が止まらなくなる

山に行けば行くほど、より困難なルートを求めます。

より高度な登山技術を身につけるために山岳会などの門を叩く人もいるかもしれません。

僕の場合、大学のサークルで夏山縦走のノウハウを学び、社会人になってから本格的に雪山を始めました。しかし技術的な面で行き詰まりを感じていたのは事実です。もっと岩登りなどの登攀技術を身につけて高度な登山をしたい!と思っていた時期もありました。

しかし、僕は大阪に住んでいたので、大阪の山岳会に入るイメージがありませんでした。なので幸いにも山岳会には入らず、独学で雪山や沢登りなどをしていました。まあでも東京に住んでいたら入っていた可能性がありましたね…。

そうなるともう山にどっぷりの生活となってしまいます。行く山の危険度も増すので、世間からはますます反社会的な人間だと思われてしまいます。



理由⑦:反社会的人間だと思われる

登山はどこまで行っても自分のためエゴイストの遊びです。自分の登山によって他者に勇気を与えることがあるかもしれませんが、それは結果論です。

いくら山に登っても、本人の目的は自分の満足のみです。ひたむきに山にチャレンジし、困難を乗り越え、頂に立つ…。その精神はきわめて純然たる美しさがあります。しかし、実際問題、その中身はどこまで行っても「我」しかありません。

「俺が強え」「俺の方が沢山登った」「あんたらには登れねえだろ」だんだんそういう思いに頭が支配されていくでしょう。

登山をやり始めたときの純粋な気持ちのままなら、たとえ高尾山だって楽しめるはずです。それなに高尾山や富士山の登山者をバカにして見下してしまうようになるのです。僕も最近まではそういう風に思っていました。

一方で、本人はより困難なルートを求めすぎて遭難死のリスクを増大させ、世間のみならず、友人や家族からも避難を受ける結果になるでしょう。

登山は反社会的な行為であり、やり続けている限り、世間全般からの容認は得られないと思った方がいいです。



まとめ:バランスが大事

どうでしょうか。ここまで読んだら「登山とはなんて罪な趣味だ」と思われるかもしれません。でも大切なのは登山をやり始めた純粋な気持ちを忘れないことだと思います。

謙虚な気持ちで登山にはのめり込まず、のめり込む場合は、それによって失うもの、得るものをしっかり分別して、バランスよくこなしていくしかないと思います。

バランスよく登山を続けて技術を向上させ続けているいる人も沢山います。そういう人は志、環境、精神、体力、全てを整えることが出来た人たちです。当人たちは「やりたいことをやっているだけ」と言うかもしれませんが、筆者のような凡人から見るとなかなか出来ることではないように思えます。

登山を続けていきたい人はそういう人たちと出会い、ヒントを見つけていくのが良いと思います。

皆様の登山が幸せな物とならんことを祈ります。



おわり
2018年7月13日