欧米ではクライミング、トレッキング、ハイキング等カテゴライズされている山岳レジャーたち。日本では単純に「登山」という言葉でまとめられいる。日本と欧米の違いを考えてみると、よりいっそう「登山」が楽しくなる気がした。


「登山」=“Mountain climbing ”か?

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一般的に日本では「登山」という言葉が、山岳レジャー全般を指すことが多い。クライミングも登山だし、低山のハイキングも登山である。しかし欧米ではハイキング、トレッキング、クライミングなどの呼び名に分かれている。

登山趣味の人が英語圏の人に自分の趣味を伝えるとき、何と言うだろうか。「山」を「登る」のだから、Mountain climbing という言葉を思い浮かぶ人もいるかもしれない。しかし実際は山歩き程度の趣味の人が Mountain climbing などと言ってしまったら、大層なロッククライミングをする人だと誤解されるかもしれない。

つまり、日本語で言うところの「登山」を英語で表現するとき、一概には訳すことが出来ないと思うのだ。

日本の山登りと欧米の山岳アクティビティのニュアンスの違いはどこから生まれたのだろうか。これは僕の個人の見解だが、おそらく日本と欧米の地形的な違い、生活の中での山との関わり方の違いが原因だろう。



地形が違うから呼び名が違う

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地形的な要因から考えてみよう。

例えば、ヨーロッパで登山と言えば4,000~5,000m級の急峻で氷雪をまとったアルプスの山々に登ることである。これらの地形で頂上を目指すにはクライミング能力が必要になる。つまり、手足を使って、岩をよじ登る行為である。場合によってはピッケル(アックス)も必要になるし、安全面を考えれば当然ロープも必要になる。

また、アメリカやニュージーランドにはクライミング能力を必要としない山に行く文化もあり、それはトレッキング(トランピング)とかハイキングと呼ばれていて、必ずしもピークハントをしないものである。トレッキングはオーバーナイト(山中泊)の稜線歩きというイメージ、ハイキングは日帰り山行や、あまり重い荷物は背負わないイメージである。アメリカの「山」は地形的に広大で、ハイキングで行ける地形、トレッキングで行ける地形、クライミングで行ける地形とを分けることができる。

地形的に、アメリカでは水平志向の山歩き(ハイキング)や、ヨセミテなどのフリークライミングがポピュラーになり、ヨーロッパでは昔から垂直志向のアルパインクライミングがメジャーとなっている。

それぞれの地形では、必要とされる能力や道具が異なってくるため、当然呼び名も変わってくる。極端な例えが、陸上競技の長距離走と砲丸投げである。同じ陸上競技ではあるものの、求められる能力は全く違う。

ところが、日本の山はそこまで地形的に規模の大きな山は存在しない。いや、もちろん北アルプスをはじめとするクライミングルートは多数存在する。日本の山も変化に富んでいる。しかし、山頂までの道のりという話となると、大抵の山頂には手足でよじ登らずに、ただ歩くだけで辿り着くことが出来てしまうのだ。

日本の上高地を例に見てみよう。欧米的に考えると、上高地散策はハイキング、奥穂高岳登山はトレッキング(ルートによってはクライミング?)なのかもしれない。しかし、勾配の強弱の差はあれど、どちらも登山道を歩いていれば到達するので、多くの日本人にとっては、どちらも「登山」というカテゴリに収まるのだ。つまり、日本語の「登山」という言葉は、山の中で山道を登る行為という意味だということになる。

これが日本では山に登る行為全てをついつい「登山」でまとめてしまう理由のひとつだろうと推測する。


「冒険」の場としての山、「生活」の場としての山

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もうひとつ、理由があるとすれば、それは日本人と欧米人の生活における「山」への関わり方の違いなのではないか。正確に言えば、生活の中での山へ関わり方の歴史の違いだ。

ご存じの通り、日本は国土の大半が山林である。どこへいっても周囲には山があり、大変に起伏が多い。アメリカ大陸のように広大な砂漠があって、山脈があってというような感じではなく、日本列島自体が巨大な山脈のようなものなのである。

欧米人は山のそばに住んでいない限りは「山」に登るにはあえて「山」へ行く必要があった。しかし反対に、昔の日本人にとっては「山」は生活の場であり、資源が豊富な場所であった。つまり、欧米人にとって「山」へ行くことは非日常であったが、日本人にとっては、わりと日常的な行為だったのかもしれない。

欧米人にとって「山」に向かう行為はスポーツ的な要素が強いと言えるかもしれない。または近代登山の基本的考えである「自然を征服する行為」だ。だから、前述の陸上競技のように、カテゴライズする必要があった。しかし日本人にとっての山は「生活の場」であったため、「登山」は移動手段であり、生きる手段であった。必然性のある行為だった。麓の集落から森林限界を越えるまで、シームレスに生活が続いていたのだ。

また、日本人は街から街へ移動する際にはよく山越えをした。峠越えである。今でも山を歩くと沢山の「峠」に出くわす。自動車や鉄道が現れるはるか昔は、そのような場所を人々が牛馬をひいて往来したのかと思うと胸が熱くなる。

移動手段としての「登山」では歩きやすいところを歩く。無理に断崖を登ったりはしない。する必要が無いからだ。目的は資源の調達であったり、山を越えて目的地まで到達することなのだから、全てに必然性がある。だからクライミングやハイキングのように区分する必要は無かったのではないか。そして山に道が刻まれ、今日の登山道の原型となっている。



「登山」の成り立ちを知れば理解と楽しみが深まる

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こうして考えると、日本の「登山」は欧米の「トレッキング」や「ハイキング」と行動様式としては似ているが、成り立ちは全く違うものなのかもしれない。

日本と欧米では、地形的に山が異なっていて、山への登り方が違う。また、地形の違いは人々の生活の違いも生み出している。山が身近ではない欧米では山を「レジャー/スポーツ」であったり「冒険/探検」の対象として見るようになった。日本では山は古来より「生活の場」であり、登山とは「手段」として見られてきた。

このような違いから、日本では欧米のように「クライミング」「トレッキング」「ハイキング」というように呼び方を分けることに馴染めなかったのだと思う。だから欧米由来の山岳レジャー文化が浸透して久しい現代でも、全て一緒くたに「登山」と呼ぶ癖がついている。

もちろん僕は日本的に「登山」と呼ぶ文化も素敵だと思っている。これは日本の地形が生み出した独自の文化(登山形態)だと思う。だからこそ、日本と欧米それぞれの地理的、文化的背景を理解することは重要だと思っている。自分のやっている行為は「登山」なのか?欧米的に言うと「ハイキング」なのか?それらを認識することは、よりその行為への理解を深め、新たな楽しさを見つけるきっかけになるに違いない。



おわり
2019年4月17日


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