北アルプスの山小屋ヘリコプター問題などから、日本の山の環境保護について考えてみた。ツイッターの延長の雑記および無駄に長文なので注意。


山小屋のヘリコプター問題

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山小屋ヘリコプター問題とは、北アルプスでヘリコプターが飛ばない、または数が少なくなっていて山のインフラが死活問題…という問題で、雲ノ平山荘伊藤さんが提起をしている。


で、その伊藤さんは、日本は「自然が必要というフィーリング」が欠如していると言う。確かに欧米と比べてそんな感じがするし、これにはとてもしっくりきた。

ここからは僕の考えを述べていく。日本人には自然が必要という感覚が全く無いのか、というとそうでは無いと思う。日本と欧米では「必要」の動機が大きく異なる。この「動機」について考えてみる。


自然が必要な理由における日本人と欧米人の違い

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古来、日本人にとって自然が必要なときの動機付けは「生活」をするためであろう。近現代以前は家を作るのに、田畑や水田を耕すのに、火をおこすのにも、衣服を作るのに自然が「必要」だった。何せ日本の国土はほとんどが山林であるから、一部の狭い平野に暮らす「都会人」以外、ほとんどの人が山の恩恵を受けて暮らしていたことだろう。

つまり日本人は自然から何かしらの生活必需品を「消費」するために必要だったのだ。

一方、欧米の人にとっての自然を「必要」とする動機付けはまた意味が違うと思う。もともと日本ほど国土が山に囲まれていないヨーロッパ人にとって山は馴染みが無い場所だったのではないだろうか。特に中世ヨーロッパでは「山には悪魔が棲む」と言われて恐れ疎まれてきたし、山間に住む人々までも野蛮な人間とされてきた。

その後、ルネサンスを経て知識人が自然の美しさを認識し始めるのを皮切りに、産業革命で自然破壊を目の当たりにして「自然愛護」は興った。つまり、欧米の「自然が必要」という感覚は自然から何かを「消費」するのではなく、「自然そのものが美しく存在していること」自体を必要としている。

日本は古来から里山を利用して生活をしてきたのでそのような感覚はもともと希薄なのではないだろうか。


日本の経済発展と里山的自然観

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明治になり、文明開化によって急激に産業が発展していった日本。当然欧米から「自然保護の考え」も入ってきたはずだが浸透はなかなかしなかった。一部の自然地理の学者たちは環境保全を訴えたが一般民衆には理解できなかっただろう。

日本の里山が良しとされているのは、持続可能な自然の消費だからだ。里山に暮らす人は自然を消費尽くしたら自分達の生活が危うくなることを知っていた。だから手入れをしつつも、自然を維持することに努めた。しかし近代産業が発展してくると、自然を破壊しても直ちに自分達に不利益を被ること無く、生活が豊かになった。こうなると容赦がないのだろう。かつて生活のために必要だから共存していた自然を人々は蔑ろにし始めた。もともと自然は恩恵もあったが災害の現況でもあったので、無くても大丈夫ならそれでもいいという程度だったのかもしれない。

そうして高度経済成長を遂げた日本では、最初は目に見えなかった問題が徐々に公害として露呈していった…。公害問題が起きてから動くという後手後手で日本の環境問題はスタートした。環境先進国の欧米に比べればごく最近のことだ。

このように、「経済発展の初期では環境が汚染されていくが、ある一定まで経済成長を遂げると環境保全の動きが強くなり汚染が解消されていく」という環境経済学の学説を「環境クズネッツ曲線仮説」という。


欧米と日本の宗教的自然観の違い

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宗教の違いもある。言わずもがな欧米はキリスト教であり、「キリスト教的自然観」があるという。神が作った自然を同じく神が自分の姿を似せて作った人間。その人間には自然を支配する権利を有しているという考えだ。

一見すると自然を破壊しかねない考え方だが、この自然に対して上からの目線によって、「自然を守ってあげる」という発想が生まれたのかもしれない。神に代わって自然の庇護者になろうといことだろうか。クレイジーな環境保護団体が欧米にたくさん存在する理由も、根本にこういう思想があるからだろう。

日本は仏教の国になる前は、自然神信仰であった。山林が多く、自然豊かな日本は自然から多くの恩恵を受け、同時に災害もあった。日本人は自然に感謝と祈りを捧げるという持ちつ持たれつの関係であったのだろう。仏教伝来後も日本古来の神々は神社として信仰されている。

仏教伝来後も、仏教的自然観は諸行無常だったり、輪廻転生だったり、とにかく万物は絶えず変化し、相互に作用しているという見方だった…らしい。なんだかよくわからないが、僕は自然はあるがまま、共存共栄ということなのではないかと思う。少なくとも人間と自然どちらが偉いかなんていう発想は微塵も湧いてこない。

欧米と日本では宗教的にも「自然観」が全く異なるように思える。


日本の「環境保全」の構造的欠陥

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地形的、歴史的、宗教的な観点から見て、日本と欧米では自然保護に対する思想が全く異なる。そんな欧米で発展した「環境保全」の考えを、日本には押し付けてもモノマネになるだけで、いまいち国民の心にストンと落ちないのも無理はない。

日本人は心のどこかで自然を消費し、利用するものだと思っているようだ。観光レジャーなどがその最たるもので美観維持より目先の利益を優先している。

日本の国立公園も自然の「利用」をする側面がある。そもそも日本では国立公園設立以前に、その土地で既に自然を利用してきた人達が住んでいたため、純粋な保護目的での国立公園設立に無理がある。欧米は欧米なりのプロセスを踏んで今の「環境保護」のやり方にはなったわけだが、それを日本に当てはめてしまう時点で、構造的に欠落がある。日本には日本らしいやり方があるのではないだろうか。




山に登る都会の人と登らない地方の人

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欧米式の環境保護意識が日本に当てはまりにくいどころか、日本国内でも異なる考えを持つ人が混在している。


環境の意識の違いにおける欧米人と日本人の関係は、都会人と地方人の関係にも似ている。都会の人は自然に直接触れる機会が少ないクセに、やたらと自然を愛するし、そういう場所に行きたがる。登山が良い例だ。

一方、地方の人、それも特に山が近い土地の人に限ってあまりそうは思わない。山には登らないし、都会の人のように環境について熱弁を振るうことはない。あそこに見えてる山も、奥の山も、名前を聞かれてもわからない状態だ。でも漠然と故郷の自然に愛着があり、当たり前の空気のような存在なのだ。まさに「島人ぬ宝」ならぬ「山人の宝」というわけだ。

国民の意識の混在は混乱を生む。国民の多くは古来の自然との共存というスタイルなのに、都会人が欧米式の意識高い系の自然愛護的要素をぶちこむから、行政もどう動けばいいのかわからなくなる。


理想を言えば国立公園はいらない

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僕はいっそ日本は国立公園なんて無くせばいいと思った。そもそも南アルプス国立公園でリニア工事などの大規模開発はやってしまうくせして、指定地以外の幕営は律儀に禁止するこの国のやり方には違和感を禁じ得ない。

国立公園だからそこ起きている弊害もある。北アルプスは国立公園だから人が入って管理すべきなのはわかるが、山小屋の存在意義は管理のためではなく商業的利権の側面がほとんどではないか。これを言ったらおしまいだが、山小屋があるから大勢の人々が楽々と山に入るし、山に大勢の人が入るから細かいルールが必要になる。逆説的だがルールを無くせば人は入らないのではと思う。

だから国立公園を撤廃して「ルール無用だけど、難しいよ?」という状態が理想。自然と人間との関係を昔の日本のようにフラットに戻すべきだ。登山道や山小屋は最低限とし、基本的に人を招き入れる体制をとらないことが望ましい。


現実的な解決策とこれから

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と、理想ばかりを並べたが実現は不可能に近いだろう。国立公園が取り巻く商業圏を潰すことはもはや出来ない。となると、現実的なものは入山料の徴収だろう。上高地ならば入山料をバス代に上乗せするなど出来るはずだ。また入山料を払ったらなにかバッジなどのノベルティがあると利用者の満足度が高まると思う。

山小屋などの利権者にとっては、入山料を導入をすることで入山者が減ることを危惧しているのもあるが、そもそも利権者を取りまとめて動くはずの国が動いてくれないというのが北アルプスの現状のようだ。

これについては政治が変わらないといけないといけないし、政治を変えるには国民の意識が変わらないといけない。一部の都会に住むヤマノボラーの考えだけでなく、等しく国民の意識を変えなくてはならない。

自然を人間に例えると欧米人にとっては昔は「よくわからない恐いヤツ」だったのが、今は「いいやつだから守ってあげたい人」になっているイメージ。日本にとっては「昔からよく知っているヤツ」だけど今は「関係が稀薄になってどう接すればいいかわからないヤツ」になってしまっているのではないだろうか。


日本は環境保護について、欧米のようなステップを踏んでいないので、同じようには変わらないかもしれない。しかし自然を慈しむ心があれば、ゆっくりかもしれないが意識は変わっていくだろう。大きく変わるのは何かを失ってからになるかもしれないが、それもまた環境保護への道のりなのかもしれない。




おわり
2019年11月1日

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