僕は標高2,300mで肺水腫となって、自力下山をしたことがある。

「そんな標高で?」と思われた方もいると思うが、僕もそう思っていた。まったく、山は何が起こるかわからない。この体験談が皆さんの安全登山に少しでも貢献できますように。



高地肺水腫とは

以下、「一般社団法人 日本登山医学会」ウェブサイト(http://www.jsmmed.org/info/pg51.html)より引用
高地肺水腫----以下のうち少なくとも2つの症状がある。安静時呼吸困難、咳、虚脱感または運動能力低下、胸部圧迫感または充満感。また以下のうち少なくとも2つの徴候がある。少なくとも一肺野でのラ音または笛声音、中心性チアノーゼ、頻呼吸、頻脈。
引用終わり

単に肺水腫と呼ぶこともあるが、「肺水腫はこの毛細血管から血液の液体成分が肺胞内へ滲み出した状態(一般社団法人日本呼吸器学会より引用)」とのことで、これによって呼吸不全に陥ることなので、高山でなくても起こることらしい。したがって、特に高度障害に起因する肺水腫は「高地肺水腫」と呼ぶ。

高山病(高度障害)の一種に入る「高地肺水腫」だが、僕もかなり危険なものであることは認識していた。しかしまさか山に慣れているはずの自分が、たった2,300mほどの標高で発症するとは、そのときは全く思いもしなかったのだ…。そのときの状況を、当時の記録を元に紹介する。



2012年1月、鳳凰三山にて

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当時社会人2回目の冬を迎えた僕は、冬山装備もばっちり揃え、山への情熱をさらに燃やしていた時期であった。今思い返すと、休暇の全て山に捧げ、仕事や恋愛などから逃避する様は、いささか冷静さを欠いた、若くて無謀な登山スタイルだったかもしれない。

この年はクリスマスを単独で八ヶ岳赤岳に登頂し、正月休みは蝶ヶ岳、それが終わると仕事を挟み、すぐに成人の日の三連休で鳳凰三山に向かった。メンバーはJJとGと僕の三人だ。二人とも後輩であり、気を張っていたのもあるだろう。

このときは自覚していなかったが、この連続の登山は身体をだいぶ疲弊させていた。しかも合間合間で酒をしこたまのみ、いくら20代前半とは言え、身体は悲鳴を上げていたのかもしれない。当然今(32歳現在)では考えられない生活だ。

きわめつけは正月明けの仕事である。おそらく3日くらいしか出勤日は無く、すぐに三連休となったと思うが、酒は飲み、ちょうど肉体労働が入ってしまっていた。身体は全く休まっていなかったのだろう。出発直前の僕の記録には「急いで準備をしたので忘れ物が無いか不安。10日会社に出れるだろうか。てか色々不安や…。でも楽しみ。。。」とある。

この不安は思いもよらぬ形で的中することになる。



テント内就寝中の呼吸困難で目覚める

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当時は大阪在住だったため、関東を頻繁に行ったり来たりしていたのも疲れの一因だったかもしれない。鳳凰三山にも大阪から甲府行きの夜行バスで向かった。夜叉神までタクシーで向かい、夜叉神峠登山口より入山した。この時期の南アルプスはまだ雪も少なく、特に問題も無く南御室小屋に到着した。年末年始と成人の日三連休は小屋は営業していた。

食事をして17時35分に就寝。ここまでは全く体調に問題は無かった。

記録によると、22時半ごろ、「息苦しさで目が覚める」そこからは10分おきに寝返り。月がテント越しに輝いていたが、月がほとんど動いていないことで時が経過してないことを知り、絶望した。まるで時間が止まってしまったような、永い永い夜が終わるのをただただ耐えて待つのみだった。

3時30分、ようやく起床の時間がきた。シュラフから起き上がると息苦しさは少し和らいだような気がした。実は肺水腫には仰向けの姿勢だと苦しくなるという特徴があるのだが…。他の二人にはまだこの症状を言えないでいた。

夜起きたときからずっと考えていたことがあった。僕の大学のサークルの先輩のことである。

その先輩は夏の剱岳で亡くなった。死因は肺水腫だったらしい。先輩といっても10個以上先輩であり、当然ながら直接面識も無かったわけだが、そのときの記録は大量に残されており、よく読んでいた。なので当然肺水腫についてもある程度理解があったし、このような2,000級の標高でも急に襲ってくる可能性があることも知っていた。まさにその先輩がそうだったのだから。

当時読んでいた漫画の『岳』でも「寝ると苦しい」というのが肺水腫というシーンがあった。そして僕のなかでの「肺水腫」のイメージは「発症したら死に至る可能性が高い」ということだった。

ふと「死」が現実味を帯びてきた。

死にたくない?いや死んでもいいか。いや、迷惑はかけたくない。ヘリコプター?最悪あり得るかも。GとJJの二人には申し訳ない。遺書には「ヘリ代は自腹で」そう考えてばかりだった。

さすがに二人に話をしたが、まだ事態の深刻さは伝わらない。もしかしたら僕の思い過ごしかもしれないのだ。ちょっと寝ている体制が悪かっただけかもしれないのだ。テントから出て深呼吸をすれば良くなるかもしれないのだ。



呼吸困難で行動不能

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5時30分。朝飯は何とか食べ、いざアタックしようとテントに出ようと身体を動かすと、息苦しくてたまらない。呼吸が困難なのだ。靴を履く動作、トイレまで行くだけで精一杯だった。そのあとのパッキングも当然つらい。

こんな日常的な動作もままならずに登山続行ができるわけがなかった。

二人には本当に申し訳ないと思いながらも、縦走の断念を提案。二人は事の重大さを理解し、すんなり受け入れてくれた。

しかしこのまま山を下るにしてもあまりにもきついので、一度小屋で休ませてもらうことにした。小屋の人の見解を聞きたいというのもあった。営業小屋があって本当に助かった。

Gからお湯をもらう。水分補給が大事なような気がしたので積極的に、ちびちび飲む。しかし身動きするのもしんどかった。漫画『岳』にこんなセリフがある「こんな身体になって初めてわかったよ。低い山も楽しかったなって」

小屋の方のご厚意で中で休ませてもらえることになった。あたたかい。小屋も人も。その間、GとJJにはせっかくだから薬師岳までピストンすることを提案。実は最初にも薬師ピストンは提案したが、二人には受け入れらなかった。テントに僕一人を置いていくことを後輩Gは良しとしなかったのだ。戻ってきたら僕が死んでいるかもしれないし…。しかし小屋待機なら二人とも安心して行ける。時間もまだ6時過ぎだ。

二人は薬師にアタックに行った。小屋の人はまさか肺水腫だとは思っていないようだし、僕も「肺水腫」かもしれないとは言えなかった。(確証も無かったし)。

小屋の人は「テント内での酸欠」を疑っていたようだ。僕はやがて布団で寝るように勧められた。本当にありがたい。しかしやはり寝ると息苦しい。しかし体勢を調整すればなんとか寝れる。とりあえず、ひたすら休んだ。やがて眠りに落ちた。



肺水腫自覚症状まとめ

ここまでの自覚症状を、当時記録にまとめていたので、そのまま書いてみる。

  • 息を深く吸えない。吸うと胸の中央が鈍く痛む。つまるような痛み。うごくとそれが激しくなり、軽い作業も出来ない。
  • 咳は無い。頭痛、吐き気も無い。
  • 体位を変えると苦しくなる。前かがみが一番楽、そりかえると苦しい。



そして自力下山、快復…

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下山後、ウソみたいに元気になって「すた丼」を食った。

午前9時。すっかり寝た。やがてGとJJが戻ってきて、下山することに決めた。何よりなるべく高度を下げたかった。高山病は高度を下げればウソみたいになくなるらしい。

パッキングも自力で出来るようになったし、トイレまで歩いても問題無いレベルまでに回復した。息はまだ深く吸えないが、明け方よりはだいぶマシになった。小屋の人には本当に感謝。10時ごろ下山開始。

ゆっくりゆっくり下山した。最初はとぼとぼ、ゆっくりと歩き、高度を下げるに従い、身体に力が戻ってくるのがわかった。そして夜叉神の登山口に着くころにはウソみたいに体調はもどっていた。呼吸も問題が無い。下山後は懲りもせず打ち上げで酒を飲み、立川ですた丼を食べた。

こうして生き永らえた。

また山に行くのが怖くないと言えば嘘になる。もう山から足を洗えということなのか?しかし当時の僕には山しか無く…いや山しか無いと自分に言い聞かせていただけかもしれないが。とにかく山以外の居場所は無かったので山を辞めることは無かった。しかもこの年のゴールデンウィークにはマレーシアのキナバル山(4095m)を計画していたのだから…。

とは言え、とても得るものが多い山行だった。人はいつ高山病になるか本当にわからない。いや、疲労を溜めたり寝不足だったりすると高山病のリスクは上がる。

理屈ではわかっていた。しかしいきなり肺水腫になることが想像できるだろうか?僕はできなかった。でもこのとき実際に発症して、否が応でも理解した。

登山はトライ&エラーの連続だ。ときに予想だにしない「エラー」も発生する。そしてその「エラー」が取り返しがつかないものだと、人は簡単に死に至ってしまう。このときの僕の「エラー」はかなり深刻なものだった。しかし生き残ることができた分、かけがえのない経験となって、今の僕の登山の礎になっている。



おわり
2019年4月26日

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