平成23年(2010年)12月、関西の人気低山、六甲山で道迷いをしたときの話。


芦屋川~六甲最高峰~宝塚ルートにて

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あれは僕が23歳になる12月のことだったと記憶している。 


当時、勤めていた会社で僕は入社一年目にして大阪勤務になっていた。当時から会社や社会の常識や通年に縛られることに抵抗があった僕は、「大阪に来させられて残念」という考えではなく、「大阪に来たのは関西を見て回れるチャンス」と考えるようにしていた。大阪に来たのだから、とりあえず関西の主要な山は制覇してやろう。転勤を逆手にとって人生をエンジョイしてやろうと思っていた。

そういう思いから、一年目にして奈良の大峰山に二回、六甲もすでに一回行っており、この六甲は前回のリベンジでもあった。というのも、一回目は天候不順で途中までしか行けておらず、二回目で私は初めて六甲の最高峰を踏んだのだ。  

ルートは芦屋川駅から東おたふく山を経て六甲最高峰を往復、宝塚に抜ける予定だった。 

思えばこの日は最初からおかしかった。早起きしようとしていたが寝坊し、予定していた時刻よりも遅くに出発した。この時点で僕は六甲山を舐めていた。

当時は山ガール全盛であり、そういった人がわずかにいるのと多くの中高年で芦屋川は賑わっており、出だしは遠足のようだった。 

まだ若かった僕は、そういった人々を見て、全員追い抜いてやろうなどという傲慢な考えを持ってしまったのを覚えている。結果、コースタイムより一時間程早く最高峰に着き、山頂ではカップラーメンをすすり、足早に宝塚に向けて歩を進めた。 



道迷いへ陥ったプロセス

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僕が「遭難」したのはそのしばらくあとだった。場所的には大平山の手前あたりだろうか。道迷いをしてしまったのである。 

その場所はルートが二分されており、私は右にルートをとったが、私はこのとき合わせて四つの間違いを犯していた。 

一つ目の間違いは、「裏の裏を読もうとしたこと」。

真っ直ぐ行くルートもかなりトレースはしっかりしていたが、なぜ僕が右へ行くことにしたかというと、目印があったからだ。ペンキ、石、テープ、松ぼっくりをぶら下げたものなど、とにかく目印が多かった。無知な僕は非常に少ない経験から、「普通は真っ直ぐ行ってしまうが、実はそれは間違いでそれを正すためにこの大げさな目印があるのだな」と裏の裏を読み、いい気になってしまっていた。 

二つ目の間違いは、「後続の人間に追いつかれたくない」と思ってしまったこと。

そのためよく吟味してルートを選ぶということをしなかったのだ。もしくは他の詳しい人に聞くのが確実だったろうに、傲慢な私にはそれは出来なかったのだ。 

三つ目の間違いは早い段階で引き返すという判断が出来なかったこと。

僕は道迷いはこれが初めてではない。それまでは間違っていることを早い段階で判断し、その時点で引き返していた。だが、今回はそれができなかった。 道が『いままでのもの』と違うことに気付けなかったのだ。いままでの明確な道標は無いがビニルテープがあった。しかし道もせまくなり、落ち葉も増えた。それでも道であることは間違いないと自分に言い聞かせながら、そのまま進むことにしてしまったのだ。よくよく考えれば、いくら愚かだった僕でもこんな細い急な下りが六甲山の縦走路なわけないと分かるはずなのだが、「早く進みたい」という焦りが判断を鈍らせたのだった。 

そして最後に四つ目の間違いは読図出来なかったこと。

進むうちに怪しいと感じてきた私はたびたび地図とコンパスを手に取った。方向は間違いなかった。しかし当時の僕の読図は読図と呼べるようなものではなかった。磁北線も記入していないし、なにより地形図ではなく山と高原地図だったので縮尺も細かくない。僕はただ、大体の方角と書き込まれたルートを見ていたにすぎなかった。 方向があってるだけで私は納得してしまった。僕は完全は地図を自分の良いように解釈し、行動してしまっていたのだ…。 



気付いたころには深入りしすぎていた

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どんどん薄くなる踏み跡

こうして僕は「遭難」した。最終的に道はどんどん不明瞭かつ斜度を増し、最後に「至 小笠峠」なる道標が出現した。僕は「小笠峠」など知らなかったし、目指していなかった。道迷いの疑惑が確信へと変わった。 



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地図は地図アプリ「ジオグラフィカ」より。緑のラインが六甲山全山縦走路。赤いラインが僕が進んだと見られる方向である。

地図を見ると小笠峠は本来の尾根から南西に外れたところの車道上ある。僕は知らないうちに支尾根を進んでいたことになる。主尾根に戻るような道も左にあったが、完全に荒廃しており、一度は藪を漕いでみたがイバラで体のあちこちが痛かった。 

当時、僕は山岳救助の漫画に傾倒しており、そのなかでよくあるシーンが思い出された。まさにそのときの僕であった。「ここで足滑らせて怪我したら確実にヤバい」そう思った瞬間、初めて恐怖が現実的なものとして降ってきた。 

僕は極力冷静を保つようにして考えた末、小笠峠なる場所へ降りることにした。

「迷ったら元来た道を戻れ」というのは鉄則だが、登り返しは相当急な道で逆に滑落のリスクが高いと思い、降りることを選択した。正規ルートでは無いにしろ、道は続いていたので、それに賭けることにしたのだ。

今考えればこれもリスクがある行為である。小笠峠への道が途中で荒廃していたらお終いだ。だがそのときの僕にはわずかに勝算があった。車の音が結構近く聞こえたのだ。いくら迷ったとは言え、進行方向には車道が横切っているのは確実で、がむしゃらに降りても絶対に車道には辿り着くはずだ…と。

幸いなことにテープの目印は途絶えることなく続いていて、道はなんとか判別出来た。そうして僕は車道に出た。 



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車道に出たところ。ガードレールに目印なのかテープがあった。

その後車道を登り返し、大谷乗越から正規の縦走ルートに戻ることが出来た。宝塚についたらもう精も根も尽きはてていたように思う。 


 

このときの行動の問題点

今思えば、あの道はなんだったのだろうと思う。どこかの山岳会が作ったルートなのか、旧道(廃道)なのか、林業用の道なのか…。 最後までトレースと印が続いていたから良かったが…。

このときの行動について、今思えば反省だらけである。正規のルートではないと自覚した時点でやはり登り返せば良かった。降りることを選択したとして、もし道が途中で荒廃していたらそれこそ滑落のリスクが高まる。車道が近いとは言え、崖の上に出てしまうことだって十分考えられる。いくらでも進退窮まる可能性はあったのだ。

このとき僕が無事降りれたのは幸運だったに過ぎない。もっと冷静になるべきだった。

そういうことも含め、この出来事は今でも僕の心に強く残り、教訓として活き続けてきたのは間違いないのだ。

(この文章は僕のmixiの日記2010年12月掲載分を加筆修正したものです)



おわり
2019年7月27日

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