この記事にはもともと、SADAというオーダースーツの会社の社長の槍ヶ岳から西穂高縦走炎上について考察を書いたが、炎上の考察なんて無意味だと思い改め、反省文に差し替えた…。



突然ですが、反省しております。

Twitterでスーツ登山が炎上し、なにかモヤモヤっとして、咄嗟に反応してしまった僕。さらにそこに反応する他の人々を見て、またモヤモヤっとした。「この人たちが言いたいのはこうじゃないよなー」とか「この人たちは誤解してるのかなー」とか、思ったり…。そうして、自分の考えを言語化してアウトプットしたくなり、ブログに書くことに。

しかし皮肉めいた文章となり、結局自分は何がしたかったのかわからなくなってさらにモヤモヤ…。

人の行為に対して自分の意見を言えれば、かっこいいかというとそうじゃなかった。全然スッキリしなかったのだ。



Twitterで感じていた「閉塞感」

てなわけで、書き換えさせていただいた。本当は記事本文を残しておこうかなとも思ったが、ネット上に僕の負の感情が残ると、さらなる負の螺旋を生みかねないと思い、ばっさり消すことにした。

ただし、コメント(大変ありがたく的を得ている)や、こういうことを書いてしまったこと事態を無いものにしたくなかったので、URLそのままで文章差し替えとさせていただく。

ちなみに、「炎上」をはじめとするSNSの「閉塞感」は今に始まったことではなく、この2~3年感じていた。

秒速5センチメートル風に言えば、

数年間とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて、それが具体的に何を指すのかも、ほとんど脅迫的とも言えるようなその思いがどこから湧いてくるのかもわからずに、僕はただTwitterをやり続け、気付けば日々弾力を失っていく心がひたすらつらかった。そしてある朝、かつてあれほどまでに真剣で切実であった思いがきれいに失われていることに僕は気付き、もう限界だと知ったとき、Twitterを辞めた。

とはならなかったが、辞める一歩手前だ。

特に最近はそういう流れが増えているような気がする。僕のタイムラインだけかもしれないが(笑)。Twitterでも呟いた通り、「正義」の振りかざしである。これは「煽り運転」や「日韓関係」「表現の自由」なんかにも共通するような話であると、僕は思う。

コメントでもあるように、僕自分自身もそういうのを見ると何か言いたくなる。自分なりの「正しいこと」「正しい登山とはこうだろ?」と言いたくなる。なんて未熟なんだと思うが、未熟なものはしょうがない。

しかし、言ったところでスッキリするようで、スッキリしない。そういう自分が嫌で自己嫌悪になるだけだ。そういうのを何度となく繰り返して来たはずなのだが、どうにも治らないのでまた自己嫌悪である。



目覚めたきっかけは山の写真

今回、僕が急に方向転換してしまったのにはきっかけがある。なんてことはない、Twitterで北アルプスの稜線の写真を見たことだ。なかなかお目にかかれないマイナールートだけど、学生時代の思い出がつまった道の写真だった。

あー、良いなあと思って急に目の前が晴れたような心持ちだった。そしてそのタイミングで、いただいた本記事へのコメント。起こされた気がした。

本来Twitterは「山の良さ」を書き連ねたいだけで、あとは有益な情報交換の場であるべきはずだった。少なくとも僕のなかでは。「山の良さ」ってのは「登山スタイルの良し悪し」じゃなくて、「山の美しさ」だ。

そのはずだったのに、SNS依存していき、だんだん暇になり、トピックを漁り、ネタにしてるうちに、暗黒面にとりつかれる。知らないうちに疲弊しくるんだよね。

うーん、今まで、「正しさとは」ということを追い求めることで「閉塞感」を解消しようとしついたけど、「閉塞感」の正体はそれじゃなかった。薄々感づいていたが、「正しさ」なんて追い求めるものじゃない。正しいのはいつだって自然であり、山の風景であり、その美しさは正しい。それだけなんだ。そんな簡単なことに気づかなかった憐れな僕…。

と、まあ2時間くらい考えて今書いているわけだが、また元の頭に戻ってしまうかもしれない(笑)。

結局またこうして物申しているわけなんだが、今回は自分の行為に物申しているので良いってことで。反省文です。

とりあえず、次回は全裸登山の考察でも書いてみようかね(笑)。もちろんエンターテイメントとして。



おわり
2019年8月20日
2019年8月22日本文差し替え

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