「山スタグラマーの聖地」と勝手に思っている黒斑山、トーミの頭へ初めて行ってきて、思ったことなど。

山スタグラマーの聖地へ
3月21日、雪の残る浅間山を見に行くために黒斑山を目指した。ここから見る浅間山はいつからかSNS上で「ガトーショコラ」の通称が付き、いわゆる「映えポイント」として登山界隈インスタグラマーの間では有名な場所になっていた。浅間山を含む上信越高原は今の僕のメインフィールドなので、ここに行かないわけにはいかなかった。しかしルート的な魅力をあまり感じず、山行は先延ばしになっていたが、ようやく行く機会を得た。
今回はコースも簡単で短く、SNSをいじったり、動画をふんだんに撮りながらの山行になった。メインはもちろん浅間山のガトーショコラ。山登りのインスタグラマー、つまり山スタグラマーの聖地であるから、僕もイケイケの山ノボラーとなってやろうと思ったのである。
山を楽しむことが疎かになる

久々に体力的、時間的に余裕があり、撮影はじっくり出来る。下山時には一眼レフを持った若い登山者や、オシャレなザックやアースカラーのウェアのカップルなどが沢山いて、やはりSNSでの人気は本物であることを実感。
しかし、下山途中にふと思ったのだ。僕は山に登ることを楽しむために来たのか?それともSNSに投稿するために来たのか?
まあ正直言って、答えは両方だ。でも、一人でこういう場所に来るとSNS用の撮影ばかりしてしまって、本当の意味での一人を満喫できてないことに気づいた。一人の山の時間を楽しむことが完全に疎かになっていた。
写真やSNSと無縁な山は記憶に残る
写真やSNSに拘らなかった山の景色の方が印象に残っている。使い捨てカメラを一個しか持って行かなかった学生時代の南アルプス長期縦走、スマホとデジカメがバッテリー切れになった快晴の宮之浦岳など。南アルプスは13年前、宮之浦岳は4年前だけど、まるで昨日のことのように鮮明に景色を思い出せる。
とはいえ、写真は記録として残したいし、それなりに自己顕示欲、承認欲求が強いのでSNSにも投稿したい。でも一人で山へ行くとそれが強くなりすぎて逆に自己嫌悪になるという悪循環。
自己顕示欲に支配されないために
僕は理想を言えば、誰かと一緒に山へ行くのが一番いいと思った。同じ空間を同じタイミングで共有するの相手がいるのが一番いい。SNSへの投稿も忘れるほどの楽しい談笑。人と一緒なので写真に割く時間も必然的に少なくなる。もちろんそれが嫌な人も多いだろうし、山の楽しみは千差万別だが。
もしくは、単独で、時間、コース的に厳しい制限のある山へ行くことだ。自ら制限プレイを課してしまえばスマホをいじる暇は最低限しか許されない。写真や動画、アレもコレも出来ないので割り切ることができそうだ。これも極論なので賛否が分かれるだろう。
とにかく、今回は楽なコースだからということで、どっぷりと写真とSNSのことを考えながらの山行計画であり、最初からそのつもりだった。それにも関わらず感じた違和感。自己顕示欲を否定するつもりは全くないが、それに支配されたくはない。自己顕示欲に支配されることは安全をも脅かす。
単独の登山の楽しみとは?自己顕示欲のコントロールとは?本当に山でしたいことは何?ということをあらためて考えさせられた山行だった。
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