最近、ツイッターのタイムラインが殺伐としてきたらしい。僕は「コロナ」をミュートワードにしているから半分くらいしか耳に入らないけど。話題の「登山自粛」について考えてみた。


そもそも登山は「3密」に当てはまらない行為だからやっても問題ないんじゃない?というのは、2月末〜3月半ばくらいまではあったし、今もそう思っている人もいるはず。しかし諸外国で感染拡大が爆発的に増え、日本もシャレにならない状況かなってきて、とうとう「不要不急の外出自粛要請」が広く出されることになった。
僕は「登山自粛」を人に強要したり、注意したりするつもりは毛頭無いし、どうぞご自由にと思っている。ツイッターやSNSに「登山してるなう」の投稿をするのに対して、「我慢している人もいるんだからそれは不適切」みたいな意見もあるけど、それもそうは思わない。人は人、他人は他人。むしろ行けない山の様子が見れて少しほっこりするくらい。
でも僕が山に行くか?って言われたら、答えは「NO」。なぜなら山が問題ではなく、遠出する行為そのものがリスクとなってきてきているからだ。たとえマイカーを使ってドアツードアで登山口に行けたとしてもそれは「トラブルゼロで行けた場合」であって、何かあった場合、遠出する距離が遠ければ遠いほど沢山の人に関わって接触する可能性が高くなる。
小さな事から言えば、ガソリンの補給、食糧、行動食の買い出し。大きなことで言うと、車両トラブル、交通事故、遭難事故などだ。もしも自分を助けに来た人に感染させてしまうことがあったら大変なことだし、その方は医療従事者であり、それは社会に直接的に大ダメージを与える行為。もちろん、その逆で病院のお世話になったらウイルスを貰う可能性が大いにある。
僕はもし自分のこんな趣味の行為でこんなことになってしまったら絶対に嫌だ。だから僕はすんなりと山に行かないという決断ができる。ただでさえ世間から叩かれやすい登山者が完全に非難の対象になってしまうのは避けたい。
これは登山におけるリスク管理にも当てはまって、起こりうるリスクを想像して、リスクの見積もりを正しく行うことが出来る登山者、つまり登山脳で考えれば自然な流れで登山に行かないという結論になると思うが…。
繰り返しになるが、行きたい気持ちもわかるので、山に行く人を非難するわけではない。ただ行くからには諸々の覚悟を背負っている人ですよね?という疑問はある。
自分は罹っていないという妙な自信は自分は滑落しないという妙な自信と同じような感じがするのだ。人間こういう時に限って人生初の滑落とか、遭難とかやらかしてしまうもので、特に僕の場合はそういうのがあるので注意している。
もし「そこまで深く考えてなかった!」という人がいたら山も今はやめたほうがいいかも。逆にそこまで考えているのであれば、何も言うことはない。人の山を止める権利は人には無い。
僕の場合、子供も小さいし、とにかく家にいるに越したことはないと思う今日この頃。何せ僕は本当はインドア派で出不精なので家でも楽しいし、近所をちょっと散歩したり走るだけでも十分スッキリするのだ(笑)。
コメント
コメント一覧 (2)
山と言っても、3000メートル級の高峰から、100メートルクラスの低山まで様々、自宅から5分の登山口もあれば、電車で数時間という移動距離もまちまち。
これを一群にまとめて一つのリスクでくくるから、論争になるんです。登山なんて日常生活に必要ないし、もう2020年は登山者は山に登らないってすれば済む話です。
登山禁止を外出禁止の延長におけばいい話。登山の遭難より、車の事故の方が何千倍もあるわけだから、リスクの大小ではなく、リスクゼロを目指せと。
ということで今は、国民全員がリスクゼロを目指す時期だから、曖昧なできない線引きをせずに登山禁止をうたえばいいんですよ。
リスクの管理を、国で強制できない以上、それでも山に登る人はリスクを自己責任で持ってもらう。それ以上でもそれ以下でもない。
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りだと思います。
もはや登山ならセーフか否かを議論するフェーズではないのは明らかです。
感染拡大が懸念される外出全般は禁止されるべきだし、倫理的にも行わないべきですね。