はじめに

本記事では、現代人が行う登山は全て「西洋近代登山」が起源であるとし、前近代に行われていた「登山的行為」とは全く別物であると主張する。

「西洋近代登山」と「前近代登山」の決定的な違いを明らかにし、現代登山はジャンルを問わず「西洋近代登山」の土台となった「価値観」の中に包括されるということを説明していきたい。

そしてその「価値観」の変容こそが、現代において人を山に誘う究極的な理由であると主張する。

これらはあくまで僕個人の考え、主張であり、数あるあらすじの中の一つだと思っていただければ幸いだ。



「山」でなくてはならない理由

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登山そのものはとても非生産的な行為である。体力を消耗するし、準備に時間やお金もかかる。何よりも山に入ることは危険を伴う。それでも何故人は山に惹かれるのだろうか?

圧倒的な絶景。達成感。都会の喧騒を忘れられるから…。どれも理由としてよく挙げられるものだ。だが、それらは究極的な理由と言えるだろうか?

絶景ならば、世界中、山に登らなくても見られる場所はいくらでもある。日本の山でも西穂高や木曽駒千畳敷などロープウェイを使って見られる山の絶景はいくらでもある。達成感ということであれば、フルマラソンも同じような達成感があるだろう。むしろ、個人的にはマラソンのほうが達成感は高いように思う。都会の喧騒を避けるためにわざわざ山まで行く必要は実のところ、無い。静かな海辺や田舎の過疎地域のほうが場合によってはよっぽど山より人は少ない。

どうやらこれらは直接的な理由であっても、究極的な理由とは言えなさそうだ。

では究極的に、何故「山」でないといけないのだろうか?山特有の魅力を山自身が持っているのだろうか?

山に何か特別な魅力があるのであれば、山は昔から姿を変えていないので、歴史上、人は昔から登山を脈々と行ってきたのだろうか?



生活の糧としての「登山」

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登山の起源を古来の「生活」や「文化」に求める人はいると思う。しかし、それは現代日本や世界で行われている登山と同質だろうか?僕の答えは否である。

日本は山国であるから、当然山の近くで生活する者はいて、そういう者たちは山の恵みで生計を立てていた。それに疑い余地はない。

『登山の誕生』(小泉武栄)では縄文時代の黒曜石で出来た鏃(やじり)が考古学者、藤森栄一の手によって編笠山標高2400m付近で発見されたとある。周辺には尖石遺跡など、山麓で暮らす縄文人の遺跡が見つかっている。こうした縄文人、狩猟採集を行っていた人々にとっては山は生活の一部であり、山に登ることはしばしば行われていただろう。

このような山麓での自給自足の生活は農業革命以後も続き、そのような人にとっては登山は日常だったかもしれない。山は仕事場であり、交通や交易の道であり、結果として山に登った。しかしこれは現在の登山とは全く異なる。

現代の世で「登山」と言えば、楽しみのために登る登山のことを指す。生活の必要に迫られて登るような登山をする人は、山を仕事の場としているごく一部の人に限られる。もちろん、現代の世には山が好きだから山の仕事に就いた人も沢山いるだろう。しかし、前近代で山で仕事や生活をしていた人は何も最初から山が好きで移住したわけではない。元々生活のためにそこに住んでいただけに過ぎない。

趣味は生活に必要なものかどうかということな主観的な話だが、登山がなくても生活が出来るというのは客観的に説明がつく。

『登山の誕生』では、鏃を標高2400mで落とした縄文人は好奇心のために登った、つまり趣味的に登ったのではないか?と考察している。というのは獲物を狩るには余りにも高所であるからだ。しかし僕はこれは特殊な例、もしくは偶然であるとも思っている。ほとんどの縄文人は山の上に何があるかとか、山登りそのものに楽しみを見出すという価値観は持っていなかっただろう。あったとしても非常に気まぐれな事だったに違いない。これについては後述する。

つまり、現代で行われている登山はと「前近代的登山」の決定的違いは、前者は楽しみのための趣味的行為、後者は全て生活の糧を得る行為であるというところにある。そして、現代の登山の源流はヨーロッパの近代登山(西洋近代登山)の流れを汲み、その価値観を受け継いでいる。



宗教に基づく自然観

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前近代ではどうして登山は趣味的に行われなかったのだろうか。その答えは宗教に基づく人々の自然観にある。

おそよ9000年前、人類がまだ狩猟採集民であったころ、人は自然を畏れ、敬い、崇拝した。原始の宗教(アニミズム)である。多くは祖先の精霊が植物や動物に宿ると考えた。狩猟採集民にとって、利害をもたらすのは植物や動物の存在だったからだ。

農業革命が起こり農業が始まると農業に影響を及ぼす自然現象がより神性を増してくる。日本では山を神格化したのはむしろ農業が始まってからだと言われている。山は田畑に水をもたらす重要な存在だからだ。人間との利害関係の変化により、信奉する「神」もまた変化していった。これは日本のみならず世界的に言えることだ。

昔の人々はこうした原始的な宗教によって「世界の理」を「理解していた」。「理解していた」が故に、「知ろう」とは思わなかった。原始宗教以後、体系的な宗教が出現してからもキリスト教やイスラム教、仏教の聖典にはこの世界で重要な事柄は全て網羅されてることになっていた。中世の人はこの聖典や伝承をよく理解することで知識を得ていた。

したがって、山に登って何かを発見したり、山に登ったら楽しいことがあるなどということは誰も教えてくれなかったし、知り得なかった。

それは単に生きるために必要が無かったからなのかもしれない。狩猟採集民族は明日や明後日を生きることで精いっぱいで、来年や2年後のことなど考えもしなかった。農業革命が起こった時、人々は初めて未来に思いを馳せた。農業は年単位で計画的に行うからだ。それと同時に未来に対する不安が生まれた。そのため、不安や生きる苦しみや死への恐怖を解決する秩序が必要だった。あるいは、人々が農耕をはじめとする政治的な集団行動の際に協力し合うための秩序が必要だった。それが宗教だった。

生活に精神的な余裕が無い時代に、楽しみのために山に登るなどという、全く生活に必要の無い行為が行われるわけがなかった。



日本の山と仏教

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日本においては奈良時代から現代に至るまで1300年以上、仏教が主な宗教であり、日本人の秩序であった。仏教無しでは日本の登山の歴史は語れない。

本来、仏教はキリスト教やイスラム教と異なり、「神の存在に無関心」であると言われている。キリスト教やイスラム教のような一神教において、世界の超人的秩序は神の創造物であり、神の意思であるから人間はそれに従うしかない。しかし仏教ではそれら超人的秩序は神の仕業ではなく、普遍的な自然法則であるとする。

元々の仏教的世界観によれば、自然や山は受け入れるべき自然法則のひとつであるから、一神教のように自然は神の創造物という発想はなかったと言える。この点において、仏教はキリスト教よりも登山と相性が良さそうに見える。

仏教はインドでゴータマ・シッダールタ(釈迦)によって紀元前500年頃に生まれたが、日本に伝わったのはそのおよそ1000年後であり、内容も大分変化していた。日本に伝わった仏教の流派は「大乗仏教」と呼ばれるもので、タイやビルマに伝わった「上座部仏教」と二分するものだ。上座部仏教は個人が修行をして悟りを開くのに対し、大乗仏教は凡人には到底悟りは開かないので、既に悟りを開いている仏陀や菩薩などの力を借りる。どちらかというと「上座部仏教」のほうが教祖であるゴータマ・シッダールタ(釈迦)の思想に近い。

ともかく、本来の釈迦の教義は宗教として広まるにはあまりに難解で、アジア各地の宗教や神々の概念を吸収しつつ、日本に伝わった。日本でも神道の神々が仏に帰依するという形で信仰が続いた。

仏に帰依した神々として、山の神も例外ではなかった。インドの密教や中国の道教にルーツを持つ修験道では山を修業の場としたし、平安時代の仏教系僧侶も山に登り、開山することで自信と民衆を涅槃の境地に観導くことができると信じていた。釈迦が山で苦行を積んだという逸話もあることから、これまた山に登ることと仏教は相性が良かったようだ。

立山信仰などを見ると、その山岳景観そのものが極楽浄土や地獄に見立てられているから興味深い。立山三山は極楽浄土で、剱岳は針の山、地獄谷は文字通り地獄の釜だ。山は肉体的な苦難を与えてくれるだけではなく、その景観の神々しさが仏教の世界に似たものだと思われたのだろう。

これらはもはや純粋な釈迦の教えではない。最終的に釈迦は苦行では悟りを開かないとし、苦行を否定しているし、極楽・地獄という概念も釈迦の死後バラモン教の影響で加わった概念だ。しかし、日本人は山岳修行と仏教を結びつけることで、信仰登山というスタイルを生み出し、これが中世の日本人の登山の主流となっていった。



日本における好奇心による登山

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宗教が様変わりしていくように、信仰登山も江戸時代になると随分と姿が変わったようだ。厳しい修験者や僧侶で無くとも一般庶民が霊峰に登れる機会がつくられ、物見遊山的性格が出てきた。富士山をはじめとする「富士講」や木曽御嶽山の「御嶽講」はまさに現代のツーリズムさながらであった。

また、江戸時代には松尾芭蕉などちらほらと諸国を旅する有名人も現れ、その中で登山を行う人物もいたそうだ。江戸後期になると現代の我々のように山が好きだからという理由で山に登る文人墨客が目立つようになった。

このような背景には経済の活性による生活の安定や、異国からの文化流入による価値観の変化が影響を与えたに違いない。多感な文化人はそのような流れを感じて想像力と内なる好奇心を多いに膨らませて山に向かったのであろう。それでも多くの一般庶民にしてみれば奇異な行為であったのは間違いない。それは明治維新後も同じであった。

明治初期、小島烏水が日本山岳会を設立する際、人からは理解されず、「山師」の集団を作るのかと思われたというエピソードがある。山師とは山で鉱脈を探す人のことで、それくらい、山と言えば信仰登山をするか、仕事で山に入るかくらいの考えしかもっていないのが明治の庶民の考えであった。日本での趣味的な登山の発展はここが限界だった。

ではどうやって日本で現在のような広く認められた登山が行われるようになったのだろうか?19世紀末の当時、西洋文明国にはイングランドのアルパイン・クラブをはじめとする「山岳会」があった。当時は何でも西洋列強の文明に習っていた日本でも当然のごとく山岳会は設立されたわけであるが、この山岳会こそが日本に西洋的登山文化を植え付けていったのである。



西洋的近代登山の誕生

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では西洋の文明としての山岳会、「西洋的近代登山」はいかなる流れで生まれたのだろうか。

小泉武栄の『登山の誕生』によると、西洋で初めて好奇心による登山が行われた記録があるのはルネサンス期とある。ダンテやレオナルド・ダ・ヴィンチがまさに好奇心による、現代の我々に近い動機で山に登ったらしい。こうした登山が行われた時期は「宗教革命」「大航海時代」と重なり、「科学革命」に繋がっている時代であり、人々の価値観に変化が起きた時代でもある。

中世ヨーロッパではペストや小氷期など、生きるのが大変な時代であった。個人の自由は制限されおり、キリスト教的世界観を信奉していたため、山には悪魔が棲んでいると本気で信じていた。神々は山をそのように作り、平地が人間の為に作った場所だったからだ。しかし、宗教革命や大航海時代、科学革命、やがて資本主義と産業革命が起こると人々の自然に対する価値観が変わってきた。

大航海時代は科学の発展とともにあった。未知への好奇心は征服者も科学者も同じであった。それは「野心的」とも言えるものだった。新大陸への航海における科学的発見や地理的発見は国家に貢献するものだった。この好奇心の発露は宗教革命や十字軍遠征のイスラム世界から得た知識・文化などが複雑に影響している。

とにかく、この時期は中世の暗黒の時代から、自然をありのままにとらえようとする動きへの変化があったのは間違いない。ルネサンスもそのひとつであり、ダヴィンチはこうした価値観の変化の中、登山に興味を持ったのだろう。日本でもまず文人墨客たちが好奇心で山に登っていたのと似ている。

この自然への好奇心、未知への冒険心が一度生まれてしまえば、加速度的に科学は発展した。科学は価値あるものとされ、帝国主義国家の征服事業に利用された。さらに、資本主義が未知の自然を探求することに投資に拍車をかけた。19世紀には科学者による登山が行われるようになった。探検のとしての登山は国家の威信にも繋がり、ヨーロッパアルプスからヒマラヤまで登頂競争が行われるに至った。

元国際宇宙ステーション船長のクリス・ハドフィールド大佐は、歴史にも記されていないはるか昔から、私たち人類は探検家だったと言っている。人類はアフリカで誕生して以来、世界中の様々な場所に足跡を残している。人類は本来1か所に留まらずにいられないのだと。しかし、農耕の発展と中世の宗教の深化がそれを阻んでいたのだ。

ひとたび科学の価値が認知されて、登山の価値が国家レベルで認めれると、その裾野は広がった。つまり、純粋な楽しみとしての登山も民衆に広く認知されるようになった。こうして今日の西洋的近代登山が生まれた。

日本でも経済が豊かになった江戸時代から、好奇心による登山は行われてきたが、資本主義や帝国主義にと結びついて加速した西洋の好奇心には及ばなかったのだろう。未知なるものを知ることが国家として必要なことであったり、利益になるという発想には至らなかった。

この西洋的近代登山は日本の大衆登山の土台となった。日本は登山が盛んであるのは地理的な特徴もあるだろうが、それだけではなく、日本は19世紀末に首尾良く西洋列強の文明を取り入れ、アジアでいち早く先進国の仲間入りを果たしたからとも言える。それは登山という行為は非常に西洋的であるからだ。



山頂へのこだわり、野心

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現代日本で行われている多くの登山は大衆登山であり、それらを行う人がもたらす科学的発見や地理的発見による経済貢献は皆無である。しかし日本の大衆登山には西洋の近代的登山の名残があって、それは山頂へのこだわりである。

多くの登山者は「登山」をしている限り、皆山頂を目指している。山頂を目指すという野心を抱いている。例外もあって、沢登りやクライミングなどはルートそのものや、人間の身体能力に価値を見出すため、登頂にこだわらない場合もあるが、それはそれらの価値が登山者にとっての山頂と同等であるからとも言える。

日本百名山など特に西洋の征服的発想を体現している。「百名山ハンター」などという言葉はまさにぴったりだ。現在、国家事業的な意味において大衆登山に価値は無いが、かつての国家が個人に置き換わり、無意識にそこに価値を見出してる。

現代において、登山に興味がない人でも、物見遊山的に山を歩くピクニックを楽しむ人もいるだろう。たとえば、登山をやっていない人と登山を趣味とする人が山へピクニックへいったとしよう。登山をやらない人は見晴らしがいい場所でご飯が食べられれば満足だろう。しかしなぜか登山をやっている人は「せっかくなら山頂に行きたいな」と思ってしまう。彼には「山頂を制しておきたい、山頂を踏んでそこからの景色を見ておくことに価値がある」という思い込みがある。これは登山の世界に足を踏み入れた人特有の共同的主観である。

「いや、私は山頂にこだわりは無い」と言う人もいるかもしれないが、はたして登山を初めて体験したときからそうだっただろうか。山を始めたばかりの一時期はは山頂に固執していたのではないだろうか。現在山頂に固執しないのはそういう行為に飽きたからに他ならず、山頂よりももっと冒険的なルートそのものを探るほうが魅力的だと思うに至っただけではないだろうか。

西洋の文明をこれだけ享受し、科学を知った現代人の我々は、野心を持たずに登山をすることは出来ない。もはやかつての縄文人のような登山を純粋に行うことはできないのだ。仮に原始的な登山、近代以前の登山を行おうとしても、それは模倣に過ぎない山の神の存在や畏怖を言葉にすることはあれども、真に信じることはできなくなっている。我々の脳裏のどこかには、帝国主義的な国家が認めた登頂の価値というものが刷り込まれている。



人はなぜ山に登るようになったか?

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原始、人と自然は密接であり、山に登っていた。しかしそれは好奇心でなく、生きるためであった。やがて農耕が始まり、宗教が起こり、山は神のものとなり、山と人は距離を置いた。依然として山で暮らす人は山に登ったが、それは生活の一部であり、現代の登山とは別物であった。

やがて科学革命が起き、西洋帝国主義による征服の時代がやってくると、自然への知的探究心、好奇心が芽生えた。そして同時に、自然を知ることは経済的に価値があることだという認識、投資の対象になる行為であると認めらるようになった。国家や投資家が登山の意義を認めた。

資本主義と科学の両輪により、人々の暮らしの豊かさは加速し、精神に余裕が生まれると好奇心はますます強くなった。同時に、国家レベルで価値を認められた登山は市民権を得て、大衆登山という形で庶民に浸透した。現代の大衆登山においては、かつての西洋的な登山・冒険の国家的価値が個人の価値に反映されたものだ。国家の目標だったものが個の目標になり、その本当の価値は自分自身でないと理解されない。

大きな流れとしては、世界の支配体系が宗教教的支配から近代国家的支配へ移行し、人々の自然に対する価値観が変化したことにある。その価値の変化は、個人が山岳に対して「畏怖」から「好奇心」へシフトさせた。この価値観の変化こそが、現代人が山に登り始めた要因であると、僕は考える。



参考文献
『登山の誕生』小泉武栄(2001年 中公新書)
『サピエンス全史 上・下』ユヴァル・ノア・ハラリ(2016年 河出書房新社)
『ビジュアル銀河大図鑑』ナショナルジオグラフィック編著(2020年 日経ナショナルジオグラフィック社)
ビジュアル 銀河大図鑑
日経ナショナルジオグラフィック社





おわり
2020年月日

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