100均であったり、Amazonであったり、ワーマンであったり、そういうアウトドアブランドじゃないもの、登山用途に作られていない製品を登山で使うときに思うこと。
僕がアウトドアブランド以外の製品を山で使おうとするとき、正直心が少しモヤモヤする。
アウトドアブランド物なら「こういうシーンで使って下さいね」というガイドがある。多少の不満があってもメーカーが「これはこのためにあえてこうなっています」というエクスキューズがあると、これは設計思想だから仕方ないと割り切って受け入れることが出来る。
だから性能に多少の不満があっても「製品は悪くない、これは考え尽くされた製品でこの状況にも耐えられるように作られている。悪いのは僕の体力、忍耐力がが無いせいだ」という思考に至りやすい。
これは正常性バイアスとも信仰心とも言える。あれだけの値段を払ったんだから悪いものであるはずがないということである。アウトドアのプロが作ったのだから問題はないはずだ、と。
しかし、たとえばワークマンではそれができない。これはワークマンに限ったことではない。100均だろうと、Amazonの格安中華コピー製品だろうと、自作山道具だろうと同じことだ。なぜなら彼らはアウトドアのプロではないからだ。そして価格も安価だ。
「プロが作った仕様だから仕方ないね」というエクスキューズが効かないとどうなるのか?「自分が今頑張ることができないのはこの道具のせいかもしれない。それを選択してしまった自分が悪いのでは?」という後悔の念にかられてしまう。その結果、自分の実力不足を道具に転嫁してしまう。パフォーマンスが下がるし、気分も落ち込む。
アウトドアブランド以外の製品を登山で使うたときは、そこまでを想定して選ばないといけない。つまり「選択の責任」を自分自身で負わないといけない。これを選んだ結果については、自分が全て責任を負うのだという強い気持ちで臨まないといけない。
だから、安易にアウトドアブランド以外のものを山で使おうとすると、その責任を負うことの葛藤があり、心がモヤモヤするのだ。
アウトドアブランド以外の製品を使うときのモヤモヤ
僕がアウトドアブランド以外の製品を山で使おうとするとき、正直心が少しモヤモヤする。
アウトドアブランド物なら「こういうシーンで使って下さいね」というガイドがある。多少の不満があってもメーカーが「これはこのためにあえてこうなっています」というエクスキューズがあると、これは設計思想だから仕方ないと割り切って受け入れることが出来る。
だから性能に多少の不満があっても「製品は悪くない、これは考え尽くされた製品でこの状況にも耐えられるように作られている。悪いのは僕の体力、忍耐力がが無いせいだ」という思考に至りやすい。
これは正常性バイアスとも信仰心とも言える。あれだけの値段を払ったんだから悪いものであるはずがないということである。アウトドアのプロが作ったのだから問題はないはずだ、と。
モヤモヤの正体は「選択の責任」
しかし、たとえばワークマンではそれができない。これはワークマンに限ったことではない。100均だろうと、Amazonの格安中華コピー製品だろうと、自作山道具だろうと同じことだ。なぜなら彼らはアウトドアのプロではないからだ。そして価格も安価だ。
「プロが作った仕様だから仕方ないね」というエクスキューズが効かないとどうなるのか?「自分が今頑張ることができないのはこの道具のせいかもしれない。それを選択してしまった自分が悪いのでは?」という後悔の念にかられてしまう。その結果、自分の実力不足を道具に転嫁してしまう。パフォーマンスが下がるし、気分も落ち込む。
アウトドアブランド以外の製品を登山で使うたときは、そこまでを想定して選ばないといけない。つまり「選択の責任」を自分自身で負わないといけない。これを選んだ結果については、自分が全て責任を負うのだという強い気持ちで臨まないといけない。
だから、安易にアウトドアブランド以外のものを山で使おうとすると、その責任を負うことの葛藤があり、心がモヤモヤするのだ。