登山好きな人のなかには体育嫌いの人、インドア派の人が少なからず存在すると思う。なぜそうなるのかを考えてみた。



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体育嫌いは必ずしも運動嫌いではないはず

おそらく体育は成果や順位を求められる運動であるのに対して、登山はそうではないというのが僕の仮説だ。

体育は授業のなかで逆上がりや跳び箱など「できる」、「できない」が絶対に分かれる。50m走にしても必ず順位が出る。上位の方が達成感を得やすく、より頑張る傾向にある。しかし、できなかった子、下位の子はそれを挽回するほどの指導を受ける時間も与えられず、どんどんやる気がなくなっていく。

結果、身体を動かすことは本来気持ちのよいことであるにもかかわらず、できるできないの評価で落ちこぼれてしまう人が出てくる。そういう人が体育が苦手になり、運動から遠ざかってしまう人もいるのではないだろうか。ちなみに、僕がまさにその類の人間なのだ。



登山は自己評価スポーツ

登山は基本的に健康的な肉体の持ち主であれば誰でもできるスポーツだ。山頂にたどり着いて無事に下りれば誰もが達成することができる。僕も初めて登山をしたときは死ぬほど疲れてもうやめようと思ったが、それでも山頂には到達でき、嬉しかったものだ。

そこに順位はなく、今回の登山は60点だったなどと自分独自の基準で評価することはあれども、客観的に他人と比較して評価できる基準は存在しない。ここが体育の授業で扱うような運動とは異なる点である。

強いて言えば早い時間で登り下りすることが客観的評価指標となりそうだが、トレイルランニングやスカイランニングといった競技でない限りタイムにあまり意義はない。せいぜいちょっと自慢できる程度だ。登山をやっていればわかるが、何時間で登ったというよりも、どんな山に何回登って、いろんな美しい景色を見たという経験の方がよっぽど羨ましがられる世界だ。


客観的評価基準のない運動のなかで抜群の魅力

身体を動かすことは本来気持ちのよいものであるので、そこに他者からの評価がないスポーツであれば登山以外でもいいはずだ。でもなぜ登山なのか?
登山のように客観的な評価基準のない運動を他に挙げるならば、ウォーキングや筋トレがある。ウォーキングは自分に必要な距離を歩いたり、燃焼したいカロリー分を歩いたりすればいいだけだ。筋トレも筋肥大という測定方法はあるにしろ、どれだけ筋肉をつけたいかは自分が決めることができる。

これらと比べて登山は抜群に魅力が多いと僕は思う。ウォーキングはやはりダイエットや日々の運動不足として行う人が多いと思われ、そこには義務感が伴う印象だ。筋トレも充実感はあるが筋肉美への執着のみが原動力であるように思える。

それらに対して登山は景色を楽しんだり、道具を使う楽しみがあったり、ファッションを楽しんだり、旅情を楽しんだりと付随する楽しみ方は枚挙にいとまがない。特にカメラやファッションなどの文化系の趣味とのシンクロが強いので、体育会系でなくとも入門のきっかけを掴みやすい。この点からも登山は始めやすく、ハマりやすいスポーツなのだ。



まとめ: なぜ体育嫌いでも山に登るのか

身体を動かすことでリフレッシュし、ストレス解消であったり、何らかの喜びを感じる人は多いと思う。しかし体育競技などで「上手い」「下手」「速い」「遅い」などの評価をつけられて、自分は運動が苦手=嫌いなのだと思っている人は少なからずいるはず。そんな人が何かのきっかけで山を登り始めれば、忘れていた純粋に身体を動かす楽しさと、付随する楽しみに魅了されることが多いのは当然のように思う。

もしあなたが運動嫌いの誰かを登山に誘いたければ、優しい山から徐々にステップアップしていき、その人の元々の趣味を絡めていけば高い確率で登山にハマるだろう。

登山は順位付けや評価に嫌気がさした現代人にはぴったりのスポーツだと思うのだ。



おわり
2021年1月9日

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