季節外れに過去の遭難記録を。2011年1月のことだ。こういう遭難未遂を重ねて成長する部分というのが、登山にはあると思う。
以下、過去のmixi日記の転載(一部編集)
※※※
僕は先週の土日(2011年1月のこと)で大峰山系弥山に登りに行った。
9月に一回、10月に一回、それぞれ別ルートで登頂しており、そんときはまあ楽勝であった。
そして例によって、この山を舐めてしまっていた…。
2000mに満たないし、せいぜい雲取山レベルかと思っていたのだ… 。
駅には登山者が何名かいたが、みな観音峰の方面であった。

前回と違い、ふもとの駅から出るバスの時間が遅かったため、なんだかんだで10時くらいに登山開始。登山口の時点で雪すごい…。そうここは大峰山の北面なのだ。雪が多くて然るべしの場所である。南側には縦走路しかないので入山は難しい。
バス停から出発するとき、宿屋のおっさんに登山届書いたかどうか聞かれ、心配していただく。有難い。
僕と同ルートはおっさん一人。そのおっさんにどこまで登るか問われて、深く考えずに僕は、弥山小屋まで行ければいいくらいに答えたら、凄いっすねとのこと。そんなに凄いことなのかと、その時は思ってしまっていた僕は、愚か極まりなかった…。
おっさんより先んじてスタート。

やったートレースがわずかにあるぞと思い、登る。しかし、荷物重い。やはり冬山だし、テント泊だし、単独なのでザックの重量は20数キロにはなっていただろう…。
すぐバテた。
そのご呼吸を整えゆっくり確実に登ること一時間、二時間… 。
夏道は埋まっているため、トレースを辿るしかないと思っていた僕は馬鹿正直にトレースを辿っていた。
やがて、無雪期には見覚えのなかった急登に少し疑問を感じながら息を切らせ、登りきると、すでにそこはルート上ではなかった…。
「陣の峰…って書いてあるけどそんなの地図にない…ココハドコデスカ」
はい遭難…。
どうやらこのトレース、林業の人のっぽい。ここ社有林らしい。
とりあえず素数を数えて落ち着いた僕は、周囲を確認した。
トレースは右に続いていたが、続いているというより、戻ってきているトレースであった。あやしいトレースである。
左はトレースは無い…しかし進むべき方角的には右に行くべき。
とりあえず左右両方の道の先を空身で見に行くことに。
右側をまず行き、展望が悪いので引き返す。

左側を進むと正面に鉄塔がある!これは位置が同定可能だ!と思い、鉄塔まで行くが、このあたりからまあ雪が多いってのなんの。
鉄塔の位置的に、ルートよりやや南にいるようだった。どうやら反対の道を進めば正規ルートに出れる可能性大であった。
そしてザックを背負い、また右ルートへ。しばらく進むと、正規ルートの道標が!おもわず「やったー」と声が出た。安心すると、思わずもよおしてしまい、雪上で用を足す。

そして僕は自分がまだ全然進んでいないことに気づかされる。これじゃあ弥山小屋手前の避難小屋までか…と思っていた。
ところがどっこい、その先もラッセルがしんどいってのなんの。新雪なんで、ワカンでも20センチから30センチは沈む。積雪自体何センチなんだろうか。ひどい時はももまでスッポリだよ…。
その後も全然進まず、途中迷ったとはいえ、夏道で2時間45分の道のりを5時間以上もかけてしまった…。

絶望した僕は二個手前の避難小屋(栃尾辻避難小屋)でビバークすることに。

この小屋は小屋というより、ボロい休憩所である。屋根と壁はあるが、入口に戸は無く、床は土がむき出しで凍りついている…。
あきらめて、この小屋の中にテントを張った。
ちょっと早かったので(とはいえ、次の小屋まで進んだら着く前に必ず日没を迎える)、昼寝をした。
起きたら闇夜が近づいており、それまで誤魔化していた冬山の物悲しさ、さみしさが急に身にしみてきた…。
もう、ほんっと、世界中の人が絶滅してこの世に自分だけしかいなんじゃないかっていう孤独感。
そしてひとりで、トマト鍋…。焼酎3杯胃に流し込んで就寝。
厳冬期対策に買ったウエスタンマウンテニアリング社の高級シュラフでも、エアマからはみ出すと寒さで目が覚める…。
明日は時間的にピークは無理だと判断し、冬の大峰山敗退が確定した…。
しかしピークに行かないことにより、楽になったという保証はない。あの迷った道を戻らなくてはならないのだ。それはとても不安なことだった。
あまりに不安すぎて、その夜は「下山して家(なぜか実家まで下山道が続いている)に帰って親とかに遭難しかけた話を笑い話にしてる夢」と、「なぜかこの先がスキー場になっていて、リフトに乗る夢」を見てしまった。

翌日。ちょっと遅く起きて、飯を食って出発。 足が冷たい。
下山は途中まで、もとの道を辿り、途中林道とぶつかるところがあるので、林道を下っていくことに。なぜなら温泉に行きたかったからである。
温泉に行くには近道も他にあるが、そこは夏に通った時、随分道が狭く、雪があったら、ちょっと通れる気がしなかった。
途中また雪上で用を足す。どうせだれもいねーしと思って登山道から対して離れずに用を足し、拭き終わった直後にまさかの人!!!
あぶねー!と思うと同時に、というよりあぶねーと思うより、人を見つけた安心感から、紙を燃やす前に「こんにちは」とこちらから声をかけてしまった。(もちろんズボンはあげてるよ)
よほど人恋しかったということをこのとき実感した。
二言三言会話して、その二人パーティは去って行った。うんこに気づかれただろうか… 。
しばらくして林道出現。林道には二回ぶちあたる。二つとも同じ林道だが、最初のやつはスルーして登山道を進んだほうが次の林道への近道となる。
しかし僕はもう雪の登山道を歩くのが嫌であった。
林道のほうが見晴らしいいし、多少ラッセルあっても雪遊びみたいで楽しいから、遠回りでも林道からいこうと思ってしまった。

これが間違いで、まーーーあヒドいラッセル地獄。
はまるはまる。
進まねーのなんの。
精神的に限界がきて「ちくしょー!!」と叫んでいたら、登山道との合流地点に出て、そこにまさかの人www
絶対に雄たけび聞こえたよね。挨拶してもちゃんと返してくれないし…。変な人だと思われたようだ…。
でも人がいるってだけで安心である。それにしてもこれも二人パーティ。新雪に一人で挑むのはやはり無謀なのか。
その後の林道はトレースがついていたので、ある程度は歩けた。どうやら最初に出会った二人組のものとおもわれる。感謝。
あとはひたすらくだって温泉へ。
温泉の入口で、人間界に生還できた喜びを一人静かにかみしめていると、おっさん4、5人に話しかけられる。どうやらおっさんたちも僕よりちょっと先でテント張って撤退してきたらしい。やっぱ新雪はしんどいと言ってた。そして僕が一人で行ったと言うと、よう頑張ったねーと言われ、ちょっと救われた気がしたのだった。
今回の山行は反省点山積みの有意義なものであった。体力的、技術的にも磨いてもっと戦略立てて行かないといけないと痛感した。
いつの日か厳冬の大峰を単独で制覇してみせるという、おおいなる目標もできた。
そしてなにより、人を避けて山に行ったはずが、山を降りるころには人間っていいなと少し思えるようになったのが、良かった。
※※※
以上が2011年1月当時の僕の記録である。当時大阪で社会人一年目だった孤独感と、雪山を始めてまもない未熟さがよくかわる。
まだGPSアプリもほとんど普及していない、携帯電話もガラケーだった時代だ。GPSがあればなんてことはないルートミスだが、トレースをたどれば問題はないだろうという正常性バイアスが読図や地図確認を疎かにしてしまった。
今の僕が技術的に向上したかというとそうでもないけど、こういうギリギリの経験が少しづつ次の登山を改善していっていると思うのだ。
おわり
2021年5月23日
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僕は先週の土日(2011年1月のこと)で大峰山系弥山に登りに行った。
9月に一回、10月に一回、それぞれ別ルートで登頂しており、そんときはまあ楽勝であった。
そして例によって、この山を舐めてしまっていた…。
2000mに満たないし、せいぜい雲取山レベルかと思っていたのだ… 。
駅には登山者が何名かいたが、みな観音峰の方面であった。

前回と違い、ふもとの駅から出るバスの時間が遅かったため、なんだかんだで10時くらいに登山開始。登山口の時点で雪すごい…。そうここは大峰山の北面なのだ。雪が多くて然るべしの場所である。南側には縦走路しかないので入山は難しい。
バス停から出発するとき、宿屋のおっさんに登山届書いたかどうか聞かれ、心配していただく。有難い。
僕と同ルートはおっさん一人。そのおっさんにどこまで登るか問われて、深く考えずに僕は、弥山小屋まで行ければいいくらいに答えたら、凄いっすねとのこと。そんなに凄いことなのかと、その時は思ってしまっていた僕は、愚か極まりなかった…。
おっさんより先んじてスタート。

やったートレースがわずかにあるぞと思い、登る。しかし、荷物重い。やはり冬山だし、テント泊だし、単独なのでザックの重量は20数キロにはなっていただろう…。
すぐバテた。
そのご呼吸を整えゆっくり確実に登ること一時間、二時間… 。
夏道は埋まっているため、トレースを辿るしかないと思っていた僕は馬鹿正直にトレースを辿っていた。
やがて、無雪期には見覚えのなかった急登に少し疑問を感じながら息を切らせ、登りきると、すでにそこはルート上ではなかった…。
「陣の峰…って書いてあるけどそんなの地図にない…ココハドコデスカ」
はい遭難…。
どうやらこのトレース、林業の人のっぽい。ここ社有林らしい。
とりあえず素数を数えて落ち着いた僕は、周囲を確認した。
トレースは右に続いていたが、続いているというより、戻ってきているトレースであった。あやしいトレースである。
左はトレースは無い…しかし進むべき方角的には右に行くべき。
とりあえず左右両方の道の先を空身で見に行くことに。
右側をまず行き、展望が悪いので引き返す。

左側を進むと正面に鉄塔がある!これは位置が同定可能だ!と思い、鉄塔まで行くが、このあたりからまあ雪が多いってのなんの。
鉄塔の位置的に、ルートよりやや南にいるようだった。どうやら反対の道を進めば正規ルートに出れる可能性大であった。
そしてザックを背負い、また右ルートへ。しばらく進むと、正規ルートの道標が!おもわず「やったー」と声が出た。安心すると、思わずもよおしてしまい、雪上で用を足す。

そして僕は自分がまだ全然進んでいないことに気づかされる。これじゃあ弥山小屋手前の避難小屋までか…と思っていた。
ところがどっこい、その先もラッセルがしんどいってのなんの。新雪なんで、ワカンでも20センチから30センチは沈む。積雪自体何センチなんだろうか。ひどい時はももまでスッポリだよ…。
その後も全然進まず、途中迷ったとはいえ、夏道で2時間45分の道のりを5時間以上もかけてしまった…。

絶望した僕は二個手前の避難小屋(栃尾辻避難小屋)でビバークすることに。

この小屋は小屋というより、ボロい休憩所である。屋根と壁はあるが、入口に戸は無く、床は土がむき出しで凍りついている…。
あきらめて、この小屋の中にテントを張った。
ちょっと早かったので(とはいえ、次の小屋まで進んだら着く前に必ず日没を迎える)、昼寝をした。
起きたら闇夜が近づいており、それまで誤魔化していた冬山の物悲しさ、さみしさが急に身にしみてきた…。
もう、ほんっと、世界中の人が絶滅してこの世に自分だけしかいなんじゃないかっていう孤独感。
そしてひとりで、トマト鍋…。焼酎3杯胃に流し込んで就寝。
厳冬期対策に買ったウエスタンマウンテニアリング社の高級シュラフでも、エアマからはみ出すと寒さで目が覚める…。
明日は時間的にピークは無理だと判断し、冬の大峰山敗退が確定した…。
しかしピークに行かないことにより、楽になったという保証はない。あの迷った道を戻らなくてはならないのだ。それはとても不安なことだった。
あまりに不安すぎて、その夜は「下山して家(なぜか実家まで下山道が続いている)に帰って親とかに遭難しかけた話を笑い話にしてる夢」と、「なぜかこの先がスキー場になっていて、リフトに乗る夢」を見てしまった。

翌日。ちょっと遅く起きて、飯を食って出発。 足が冷たい。
下山は途中まで、もとの道を辿り、途中林道とぶつかるところがあるので、林道を下っていくことに。なぜなら温泉に行きたかったからである。
温泉に行くには近道も他にあるが、そこは夏に通った時、随分道が狭く、雪があったら、ちょっと通れる気がしなかった。
途中また雪上で用を足す。どうせだれもいねーしと思って登山道から対して離れずに用を足し、拭き終わった直後にまさかの人!!!
あぶねー!と思うと同時に、というよりあぶねーと思うより、人を見つけた安心感から、紙を燃やす前に「こんにちは」とこちらから声をかけてしまった。(もちろんズボンはあげてるよ)
よほど人恋しかったということをこのとき実感した。
二言三言会話して、その二人パーティは去って行った。うんこに気づかれただろうか… 。
しばらくして林道出現。林道には二回ぶちあたる。二つとも同じ林道だが、最初のやつはスルーして登山道を進んだほうが次の林道への近道となる。
しかし僕はもう雪の登山道を歩くのが嫌であった。
林道のほうが見晴らしいいし、多少ラッセルあっても雪遊びみたいで楽しいから、遠回りでも林道からいこうと思ってしまった。

これが間違いで、まーーーあヒドいラッセル地獄。
はまるはまる。
進まねーのなんの。
精神的に限界がきて「ちくしょー!!」と叫んでいたら、登山道との合流地点に出て、そこにまさかの人www
絶対に雄たけび聞こえたよね。挨拶してもちゃんと返してくれないし…。変な人だと思われたようだ…。
でも人がいるってだけで安心である。それにしてもこれも二人パーティ。新雪に一人で挑むのはやはり無謀なのか。
その後の林道はトレースがついていたので、ある程度は歩けた。どうやら最初に出会った二人組のものとおもわれる。感謝。
あとはひたすらくだって温泉へ。
温泉の入口で、人間界に生還できた喜びを一人静かにかみしめていると、おっさん4、5人に話しかけられる。どうやらおっさんたちも僕よりちょっと先でテント張って撤退してきたらしい。やっぱ新雪はしんどいと言ってた。そして僕が一人で行ったと言うと、よう頑張ったねーと言われ、ちょっと救われた気がしたのだった。
今回の山行は反省点山積みの有意義なものであった。体力的、技術的にも磨いてもっと戦略立てて行かないといけないと痛感した。
いつの日か厳冬の大峰を単独で制覇してみせるという、おおいなる目標もできた。
そしてなにより、人を避けて山に行ったはずが、山を降りるころには人間っていいなと少し思えるようになったのが、良かった。
※※※
以上が2011年1月当時の僕の記録である。当時大阪で社会人一年目だった孤独感と、雪山を始めてまもない未熟さがよくかわる。
まだGPSアプリもほとんど普及していない、携帯電話もガラケーだった時代だ。GPSがあればなんてことはないルートミスだが、トレースをたどれば問題はないだろうという正常性バイアスが読図や地図確認を疎かにしてしまった。
今の僕が技術的に向上したかというとそうでもないけど、こういうギリギリの経験が少しづつ次の登山を改善していっていると思うのだ。
おわり
2021年5月23日
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コメント
コメント一覧 (2)
いつもありがとうございます!
高校で冬の縦走はすごいですね!私もいつの日かまた再挑戦したいです。