妻が茶道をやってるので知ったことがある。それは茶道における茶懐石のある行為と、登山での食事におけるある行為にちょっと共通点があるのだ。面白いので紹介してみようと思う。

茶道との共通点を挙げる前に、まず登山での食事、主に自炊についての僕の見解を述べておきたい。
登山で自炊をする際、水が貴重なのは言うまでもない。そして当然食器を洗う流し台もない。厳密にはテント場の水場や小屋の洗面台で食器を洗おうとすれば洗えるが、こういったところで食器は洗ってはいけないと定めている小屋は多い。それに皆が一斉に洗うと部分的に環境負荷が高くなってしまうので、環境問題もあるだろう。
ということで、僕は基本的に山で自炊をしても食器などは水で洗わない。
洗わないのだが、それは一泊や日帰りならいい。問題は連泊する長期縦走などの場合だ。さすがに汚れを残したまま次の日食器にご飯を入れたくない。

そこで、よく使うのはトイレットペーパーなどで拭き取る手法である。これはやっている人も多いことだろう。さらに僕はもう一つが行うことがある。
それは、最後食器にお湯をちょっと入れることで、残留したカレーのルーなどを溶かして、飲んでしまうという方法だ。これはおそらく学生登山界隈では常識的に行われていると思う。
ちなみに、ちょっと飲むくらいなら全然平気なのだが、大きな調理用コッヘルに残ったものを飲むとなると量があるのでなかなかハードなのだ。
これをやると残飯も最後の一滴まで胃に収まるし、トレペで拭き取りやすくて紙も節約できるし、食器は綺麗になるので、合理的なのだ。
この行為、実は茶道の茶懐石に少し似ているのだから驚きだ。

そもそも「茶懐石」とは、茶の湯で正式にお客を招いてもてなす方法である「茶事」のなかで出される懐石料理のことだ。このなかで色々と順序と作法があるらしいが、それは割愛して、締め括りに出されるのが「湯桶」である。これは炒り米入りの白湯で、塩が入っていることもあるらしいが、まあ素人からしたらようするに「お湯」である。これをどうするのか?
勘のいい人はお気づきかもしれないが、それまでに食事で使ってきた椀に湯を注ぎ、残しておいたご飯を「湯漬け」にして食すのだ。わざとご飯を残しておくというのがいかにも茶道の形式っぽいが、この行為の本質は「食事の最後に湯で椀をすすいで清める」というところなのだ。先ほどの山の食器の所作と同じではないか!

あんまり言うと茶道に詳しい人に怒られそうな気もするが、あえて続けたい。個人的見解だが、茶道と登山は本質的な精神が近い部分があるのだと思う。最初に言ったように登山では水は貴重で、食事は質素になりがちだ。水を無駄にしない、食べ物も無駄にしないという合理的な考えが、必要最低限の質素さのなかで最大のおもてなしをするという茶道の考えと合致するように思う。
また、登山はよくストイックであるとも言われる。己と自然との対峙であり、他のスポーツとは少し異なる精神世界を有するように思う。いわば「道」である。こういう点も茶道の「道」に通じるものがあるのかもしれない。これはなんだか面白いと思った。茶道には野点というものもあるしアウトドアとの相性は潜在的に高いのもうなずける。
ここまで書いておいて、弁明しておくと、当の僕は茶道については何も知らないど素人で、浅ーく聞きかじったことを勝手に解釈して書いている。間違いや勘違いは大いにあると思われるし、厳密な考証は一切行っていないので、ご了承願いたい。
おわり
2022年12月18日
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登山の食事について

茶道との共通点を挙げる前に、まず登山での食事、主に自炊についての僕の見解を述べておきたい。
登山で自炊をする際、水が貴重なのは言うまでもない。そして当然食器を洗う流し台もない。厳密にはテント場の水場や小屋の洗面台で食器を洗おうとすれば洗えるが、こういったところで食器は洗ってはいけないと定めている小屋は多い。それに皆が一斉に洗うと部分的に環境負荷が高くなってしまうので、環境問題もあるだろう。
ということで、僕は基本的に山で自炊をしても食器などは水で洗わない。
洗わないのだが、それは一泊や日帰りならいい。問題は連泊する長期縦走などの場合だ。さすがに汚れを残したまま次の日食器にご飯を入れたくない。
登山における食器の清め方

そこで、よく使うのはトイレットペーパーなどで拭き取る手法である。これはやっている人も多いことだろう。さらに僕はもう一つが行うことがある。
それは、最後食器にお湯をちょっと入れることで、残留したカレーのルーなどを溶かして、飲んでしまうという方法だ。これはおそらく学生登山界隈では常識的に行われていると思う。
ちなみに、ちょっと飲むくらいなら全然平気なのだが、大きな調理用コッヘルに残ったものを飲むとなると量があるのでなかなかハードなのだ。
これをやると残飯も最後の一滴まで胃に収まるし、トレペで拭き取りやすくて紙も節約できるし、食器は綺麗になるので、合理的なのだ。
この行為、実は茶道の茶懐石に少し似ているのだから驚きだ。
茶懐石とは?山の食事との共通点

そもそも「茶懐石」とは、茶の湯で正式にお客を招いてもてなす方法である「茶事」のなかで出される懐石料理のことだ。このなかで色々と順序と作法があるらしいが、それは割愛して、締め括りに出されるのが「湯桶」である。これは炒り米入りの白湯で、塩が入っていることもあるらしいが、まあ素人からしたらようするに「お湯」である。これをどうするのか?
勘のいい人はお気づきかもしれないが、それまでに食事で使ってきた椀に湯を注ぎ、残しておいたご飯を「湯漬け」にして食すのだ。わざとご飯を残しておくというのがいかにも茶道の形式っぽいが、この行為の本質は「食事の最後に湯で椀をすすいで清める」というところなのだ。先ほどの山の食器の所作と同じではないか!
茶道と登山の共通点

あんまり言うと茶道に詳しい人に怒られそうな気もするが、あえて続けたい。個人的見解だが、茶道と登山は本質的な精神が近い部分があるのだと思う。最初に言ったように登山では水は貴重で、食事は質素になりがちだ。水を無駄にしない、食べ物も無駄にしないという合理的な考えが、必要最低限の質素さのなかで最大のおもてなしをするという茶道の考えと合致するように思う。
また、登山はよくストイックであるとも言われる。己と自然との対峙であり、他のスポーツとは少し異なる精神世界を有するように思う。いわば「道」である。こういう点も茶道の「道」に通じるものがあるのかもしれない。これはなんだか面白いと思った。茶道には野点というものもあるしアウトドアとの相性は潜在的に高いのもうなずける。
ここまで書いておいて、弁明しておくと、当の僕は茶道については何も知らないど素人で、浅ーく聞きかじったことを勝手に解釈して書いている。間違いや勘違いは大いにあると思われるし、厳密な考証は一切行っていないので、ご了承願いたい。
おわり
2022年12月18日
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コメント
コメント一覧 (2)
私もひとつ思い出したことがあるのですが、禅寺で宿泊した折に自分用の飯椀汁椀箸を渡されて「食事も修行。食器は食後に注がれるお椀一杯の茶で洗え」と。漬物をひと切れ食べずに残しておき、飯椀にお茶を貰ったら汁碗の味噌汁の具や滓を漬物使ってお茶のなかへ、飯粒も椀からはがし、箸先も湯に浸して最後にお茶を飲み、お椀一式を包んでいる布巾で水気を拭き取って自分の場所にお片づけするのです
食事前に手を清めているし、脂気のない食事でやるぶんにはこれで充分綺麗になるとは思うのですが、お寺さんの温情で体験宿泊の学生には普通のおかず(こちらの皿は洗剤で別に洗っているらしい)をつけてくれるし最終日にはカレーライスに漬物添えて(!!)出してくれたので、修行の道は楽ではなかったです
このやり方、江戸時代の一汁一菜の商家では一般的な作法だったとも聞きます
お目汚し失礼しました
興味深いお話ありがとうございます。勉強になります。
茶懐石自体が禅宗の懐石料理、精進料理から来ているらしいので、同じような作法なのでしょうね。根底に食べ物を粗末にしないというのがあるのでしょう。しかしカレー茶はなかなか楽ではないですね笑