登山に数多ある「マナー」や「暗黙のルール」ここにまた新たな決まり事ができつつあるので、それってどうなの?そこまでやる必要あるかい?と思ったので書いてます。
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先日某アルピニストの方がXでこのようなポストをしていた。

富士山の山頂でご来光を拝みたいと暗闇の中を山頂まで必死に登っていた登山者、たくさん、いらっしゃいましたよね。
しかし、富士講の方々からは「富士山の山頂からご来光を拝むのは罰当たり」との指摘も。
「何故ならば山頂からだと日の出の時に太陽が目線より若干下がります。上から見下ろす事になります。ですから目線より上から太陽が上がってくる九合目付近でご来光を拝んでおります」と。
そうか、近年まで僕も知らなかった。何度か山頂で万歳してしまったので罰が当たるかな(・・;)

(後略)
真偽はともかく、富士講から見ると富士山山頂から見るご来光は罰当たりらしい。富士講とは江戸時代から続く民衆信仰のひとつで、主に富士山を信仰する宗教運動である。詳しくはWikipediaでも見てほしい。

繰り返すが本当に富士講の方がこのようなことを言ったかは定かでは無いが、このようにある種の伝統をちらつかせて、登山界で多少なりとも有名な人が「山頂でのご来光は罰当たりだから九合目付近で拝む」という情報を流すことについて違和感がある。

全文を読むとおそらく山頂へ朝日を目指して行く夜間登山を諫めるつもりで発言してるのかもしれないが、引用している話がヘンテコ過ぎて単に新たな登山ルールを提唱しているようにしか見えない。

だいたい山頂から太陽を拝むと目線が太陽より上になるという理屈がよくわからない。地動説のフラットな大地を想定しているならそうならんこともないが、それでも九合目だろうが地平より標高が高ければ見下ろすからかわらないだろうよ。ヘンテコな理屈である。

それをもっとものように、富士講以外の登山者にも当てはまることのように「罰当たり」といわれると何だか気分が悪くなる。ビジネスマナー()の名刺交換の時に相手の名刺より下になるように渡すという奴に似ててなんだが気持ち悪い。

実際気にしてやる人がどれくらいいるか知らないが、これで変な流行になって九合目で謎の渋滞ができたらアホくさいと思う。

「信仰」による登山のルールはこれまでもいくつかある。たとえば金峰山では御神体である五丈岩に登らないで欲しいということが近年になって話題になった。これには色々な意見があるが、ある種の人にとって信仰の対象になっているものを足で踏んで登るのは当然失礼なことだということは理屈でわかる。極論を言えば誰かが仏像を拝んでいたとして、その仏像に急に登り始めた奴がいたら、拝んでいる人は激怒するだろうし、その気持ちは常識的に考えればわかることであり控えるべきことだ。

だから「御神体だから登らないで」系の話はわかる。けど、登山の仕方に関するところ、つまり祈りの作法については専門的な知識を持ってなくても良いじゃないか。ほっておいてくれと思う。富士講のやり方があるなら富士講の中でやっておいてほしくて、それを外に広めようとしないでほしい。

それを言ったら山は白装束で登らないといけないのではないか。登山靴で山を歩くのは不敬なのではないか。山に入る前は正式な手順で禊をする必要があるのではないか。それらをしないと罰当たりなるのではないか。キリがない。

信仰心は各々が大事に心の中に抱えていはずで、それこそが本質ではなかろうか。細かい手順や作法より、富士山をリスペクトする心が大事だと僕は思う。

最後に以下ポスト全文

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おわり
2024年7月14日

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