2016年夏、僕は槍ヶ岳の北鎌尾根稜線で財布を落として一文無しになった。たった一人で絶望していたなか、最善の装備と幸運と水と太陽と人の縁のおかげで生還したときの感動の実話。
悲劇の序章
2016年の8月、僕は高瀬ダムから湯俣温泉を経由して水俣川を遡行し、北鎌沢から北鎌のコルを目指していた。北鎌の記録についての詳細は 槍ヶ岳北鎌尾根クラシックルート単独行。 に書いたので、参照してほしい。
水俣川は徒渉が多かったものの、天上沢に入ってからは簡単な沢登りだったので、ルート的には大きな問題はなかった。しかし、ここで最初のアクシデントに遭う。
一人でひたすらジャバジャバ川の流れを歩いたりしながら、僕は防水のデジカメで写真を撮っていた。スマホも防水なのでズボンのポケットにそのまま入れており、時折良い景色のときはスマホでも写真を撮っていた。
普段の沢登りだとスマホはポケットではなく雨蓋に入れているのだが、このときは歩きなのでズボンポケットでいいやと考えていた。ところが、気付いたらスマホがあるはずの左ポケットがやたらとスカスカに…。一瞬で頭が真っ白になる。この山旅の最初の絶望だった。
しかしそのときの僕は冴えていた。そして運が良かった。すぐに「あ、あそこだ!」とスマホを落としたと思われる地点を割り出したのだ。数十分前に通過した際、水溜まりで滑って尻餅をついてしまったところがあった。スマホがポケットから出そうなのはそこくらいしからないし、もし仮にその地点にスマホが落ちているなら流されずにまだ水溜まりにあるかもしれない…と思い、一度引き返すことに。確信に近いものがあったとはいえ不安がないと言えば嘘だった。もしその場所に落ちてなかったら…。
落としたと思われる場所に戻ってくると、水の中にスマホを発見。水没していたけど完全防水なので中身も無事。唯一転倒した場所で地形も覚えていたし、想像通りの形で落ちていた。実に冴えている。しかし、このときスマホが見つかって本当に良かったと思うのはもう少し先の話である。
本当の悲劇
悪いことは続く。二つ目のアクシデント、いや、この旅での最大の悲劇と呼んだほうがいい。それが起きたのは北鎌沢を北鎌のコルを目指して登っている最中だった。
スマホを無事に回収した僕は、時間をロスしたものの、なんとか北鎌沢の取り付きである広い河原に出ることができた。短い距離とはいえ、一度来た道を戻り、また進むのは精神的にきついものがあったのだ。そしてようやく、あとは北鎌沢を登るだけで、やや安堵があった。
北鎌沢を7割、8割くらい登った頃だろうか。もう少しで北鎌沢のコルというところで、休憩中にザックから記録のノートを取り出そうとしたときだった。ノートを入れていた防水サックが見当たらない。ノートを入れていた防水サックのなかには財布も入っている。うーん、雨蓋以外にしまっちゃったかな〜と雨蓋を引っくり返しても何処を漁っても、無い。
あれ……?財布がどこにも無い…。
ハァハァハァハァ…。
動悸が早くなる。なんと財布には家の鍵も取り付けてあった。本当の絶望とはこのことか。
せっかくもうすぐで北鎌沢のコルのビバーク地点なのにッ!スマホを落としたときも見つけられたのにッ!!何故だッ!!神よッッ!!
僕の不安をかきたてるように日は傾きはじめ、北鎌沢は薄暗くなってきた。沢の日暮は早い。
スマホのときと違って今回はどこでなくしたかパッと見当が付かない。もうだいぶ登っているし、今から降りて探すのは現実的ではない。なにより北鎌沢は下降するには急斜面過ぎて危険を伴う。並大抵の覚悟では降りられない。あたりも暗いし、何より気が動転している。
とにかく、登るしかない。
まずは無事に北鎌尾根を突破して上高地に降りて考えよう。
健康そのものだし、ルートも見失ってないので遭難したわけではないが、実質遭難したかのような気分だった。
上高地から助けを呼ばないといけない
最初にスマホを落としたときに本当に見つかって良かったと思った。単独でスマホも財布も無ければ本当に道行く人に助けを乞うしかない。現代社会でそれはかなりハードルが高い…。しかも北鎌尾根では道行く人もほとんどいない。
とにかく連絡手段さえあれば、上高地から誰かに連絡をして助けに来てもらえる可能性がある。助けが来なかったら上高地から抜け出せずに山でテント生活を続けないけないハメに…。上高地生活には憧れていたが、こういうのじゃない。
北鎌のコルでツェルトを設営して、寝るまでの間に、SOSをかけたら助けに来てくれる人がどれくらいいるだろうとか色々考えた。考えまくった。本来なら今日一日の行程を振り返り、自分を労い、そして明日への不安と期待、栄光の北鎌尾根踏破への想いを馳せる時間であるが、